2005年06月05日(日)
カムっていいね!


 昨日の大真みらんさんの発言の載った歌劇をクマコさんかおりちゃんに見せました(一人じゃ耐えられない)。「ふーん、それで?」………え?それだけですか?それだけなものですか?もしやこんなに反応してしまうのは大真担、いやアタシだけですか?(真っ赤)。だ、だってアタシ脳内で7秒ぐらいそのCM再生しちゃったよ?(するな)(どんな想像したんだか)
 それはさておき、最近かおりちゃんと一緒にいると、自然と涼さんごっこが始まります(何しているんですか)。でも気をつけないと私はすずやつ視点の、かおりちゃんはすずしゃが視点の「涼さんごっこ」になっている時があります。あ、でもどちらでも涼さんが素敵なのには変わらないので全然問題ありませんから(それ以前の問題です)。


 花組さんを観てきました。

[マラケ酒(違)メモ:オギー芝居の話]

 満を持してのオギー芝居だったのですが、やっぱりオギー芝居はオギー芝居でした。先日、ぶらぶら節の脚本の話をした時に「脚本と上演時間の間尺」の話をしました(天使の季節は上演時間に対して脚本が足りない、ぶらぶら節は主要な部分はその間尺にあっていたから、私なりに納得できた)。オギー芝居の場合、この間尺に入りきらない脚本です。おそらくはこの間尺(上演時間一時間三十分)に当てはめなければ、オギー芝居のつじつまというかストーリーは合っていると思うんですよ。でも決定的にはみ出しているオギー芝居、というかもはやそれを敢えてやっているような気がしてなりません。ただ大きく変わったのは、間尺からはみ出たらはみ出たなりにタカラヅカとして均している作業が見えることです。螺旋の時ははみ出てこぼれたままだったですから、それだけでも、変わったなぁと思いました。
 芝居作品を担当する事が決まってから、何かでオギーのインタビューを読んだのですがそこで「ショーを何作かやったことで大劇場のつかいかたがわかってきた。それを生かして芝居を作りたい」と言っていたんですね。それはすごい感じたなぁ。
 まあ、そんな分析はさておき、好きか嫌いかと聞かれたら好きです。なんだ、すごい引き込まれる。正直芝居としては「??」な部分もあるんですが、オギーテイストな台詞の数々、価値観の数々。舞台の使い方、色遣い、音遣い(時折聞こえる効果音?みたいなのがすごく印象的)。
 とはいえこれを分析というか解釈というかするのにはそれなりに通わないとだめだなぁと……あのですね、どうも私、最近タカラヅカを深読みする癖がついてしまったみたいで、せいぜい2回しか観ない管轄外組でもすごいガッツリ観ちゃっているんですよね、そして消化不良(これはこの間のエリザを観た時に思ったなぁ)。なんというか最初から観劇回数を鑑みた立ち入り方をしなくちゃ駄目(深入りするな)だっていう事を考えいる自分がサイコウにうっとうしい(素)。平たく言うと腹八分目、そんなにガツガツ食べるんじゃありません(ぺしゃん)(みゃー)。
 ま、消化されないなら消化されないでアリだとは思うんですけれどね(さらっと)。
 そんな感じの初見感想です。あと一回観にいきます。


[マラケ酒メモ:ふーちゃんの話]

 ぶっちゃけわかりやすいヒロインはイヴェットさんの方とは思うのですが、私は敢えてふーちゃんのオリガの話をします。実は一番感情移入できたのが彼女だったという(えー?)。
 かわいそうだった、本当にかわいそうだった(ええー?イヴェットさんの方がかわいそうじゃーん)。
 なんというかオリガは本当にからっぽな人なんだなぁと思いました。傍から見れば恵まれていたり、浅はかだったり、世間知らずだったりするのかもしれない。でもそれ以上に彼女はからっぽなんだもの。
 唯一の「自分からの選択」をして、そして後悔。彼女の今はとても空虚。過去に置き忘れてきたから空っぽ。だから過去に戻ってひとつづつ取り戻そうとした。けれども、できなかった。
 パリで王子に騙されて沈んでいるオリガが本当にかわいそうだった。かわいそう、という同情じゃなくて、本当にどうしようもなくなっていた。時折聞こえてくる水音もあいまって、私の中ではあのオリガが水中の上にもいけない下にもいけない本当に「水の中」でたゆたっているように見えたんです。コポコポと水音のするなか、どうにもならない状態……すごい切なかった。
 実はこの話、私の中では「クリフォード×オリガ」できっちり成立しているなぁと思っています。最後に助かったクリフォードが「今までの事は無かった事にしよう」って言うじゃないですか。きっと最初に巴里で出会って結婚した時は、クリフォードはオリガの空虚をただ見守って、優しく包んであげることしか出来なかったんじゃないかなと。それを最後にクリフォードが、そう言う事でその空虚を断ち切ってくれた。全然書かれていないけれど、そうやって「断ち切る」行為に出るクリフォードにどれだけの変化と成長があったんだろうか。過去に戻って置いてきたものを拾い集めてそこから始めるんじゃなくて「今、ここから、始めよう」と。きっとオリガの空虚はこれからクリフォードが埋めてくれる、オリガ自身も一緒に埋めていけるようになるんじゃなかったかなぁと。
 過去の象徴の金の薔薇、今(未来)の象徴の石の薔薇……もうそれにぐあんぐあん来ちゃってね、すんごい切なくなっちゃってね、本当に全然伝わっていないと思うんですけれど、とにかく私的に今回のクライマックス、そして喰らいつきどころはそこなんです。
 今回のふーちゃんのお芝居がそんな空虚なオリガにはまっていたのも良かったなぁと思います。
 以下ふー担の世迷言なんですが、そう思うとオリガと一緒に「過去に戻って置いてきたものを拾い集めようとした」リュドヴィークが、ものすごいファムファタールというか、そういうものに思えてきました。実体のない、運命のような。超人的な存在というか。実際に、私にはリュドヴィークという人が良くわからなかったので、そう思うのかもしれませんが。あるいはオリガとの対比だったのかなぁ。私は別に2人の間に恋愛感情があったとは思っていません。夜明けまでの時間、も多分プラトニック(何言っているんですか)。過去に戻るために、残された細い糸に必死にしがみついているような、今も未来もまったく見えてない2人、ただ互いの中に過去を見ている二人……なんか私の中ではぶらぶら節の伊佐とおしまちゃんの関係と同じに思えてきた(えええええ?)(あの2人も互いの中に共有している子供の頃の記憶を頼りに過去に戻っていこうとしている)。
 だめだ、まとまんなーい。
 もう一回見てきたらちゃんと考え直せるかなぁ。本当に最近こんなのばっかりでごめんなさい。本当にもう管轄外でマシンガン打つのやめた方がいいような気がするよ。
 つうか君、本気でふーちゃん中心に見ていたんだな(素)。何はともあれ、私、今回のふーちゃんすごい好きです。


 それにしても(私の判定で)主人公2人が恋愛していない物語が西でも東でも繰り広げられているのだなぁ……。


BACK  INDEX   NEXT