2004年05月03日(月)
窓ガラスに指先のモールス、光の人


 ようやく今日からGWです。もとい既にただの3連休(笑)。そう思ったほうがお得感が(笑)。


 「愛しき人よ」を観てきました。
 以下、思いっきり管轄外トークあんた何様のつもりよトークです。
 実は今、月組さんが一番管轄外になってしまっているんですね。どれぐらい管轄外かというとスカステニュースで稽古場映像を見て、台詞をもらっている人ですら名前が出てこないぐらい。誰かと確かめようとプログラムを探したら「長い春の果てに」が一番最近のだったという(毎公演観てはいるんですが)。

 (何?その予防線は?)(さぁ?)


[起承転結の「承」「転」の話]

 今回のお芝居、世論(どこのだよ)と同じく私も「あ、斎藤君にしては破綻してない」と思いました。
 これは起承転結の「起」と「結」がちゃんと繋がっているというのが大きいんだと思います(この点については後述)。ですが「承」「転」の部分は相変わらずの斎藤君の「萌えシーンレビュー」でしたな(笑)。かきまわすだけかきまわして、ひっかきまわすだけひっかけまわして、しかもそのどれもが収拾できていない。いいの、俺はただ一瞬の萌えに命をかけているのだからという斎藤君の主張が聞こえてきます(幻聴です)。
 で、この「承」「転」をサイコウにひっかきまわしているのが、楠くんのミシェルとゆらさんの若菜さんだと思いました。ぶっちゃけ「で、この話は人の話を聞いていないミシェルと場の空気を読めない若菜さんが事態を拡大している話なんでしょ?」と思った次第。
 が、実は私の中でこの二人が今回のMVPです(ええっ?)。なんというか破綻したストーリーにこそハマった破綻したキャラといいましょうか。本来ならこの手のキャラは私がもっとも嫌うところのキャラ(としての描かれ方)なんですが、この二人は受け入れられたんですね。ひとつは破綻しつつも実はこの二人が物語を動かすきっかけとなっていること(物語の中に存在意義があること)、もうひとつはそれぞれの破綻したキャラが「ああ、楠くんだからなぁ」「ああ、ゆらさんだからなぁ」と納得できてしまうところなんですよ!……ファンの皆さんごめんなさい、私的にミシェルは私の描くところの楠くん像にかなり近かったです。話をまったく聞かずにジョセフィーヌをアメリカに誘うところとか、公衆の面前で相手の気持ちお構いなしにプロポーズするところとか、今更隠していた和実からの手紙を差し出し、しかも最後に妙に懐の深い男になっていて遅いんだよ!とつっこみつつも、ああ楠くんだからなぁと。破綻したストーリーでもそこを埋めた破綻したキャラに納得しちゃったから、結果として破綻したストーリーへもなんとなく納得感が(笑)。
 まあこれには私が勝手に楠くんへ抱いているイメージ(この辺りが考えるところの楠恵華)と、本人の役者としてのキャラ立て具合(有無を言わせぬ清廉潔白委員長キャラ)の効果でもありますが、私は敢えて楠くんが芝居として考えてこういう結果になったと思います。割と彼も役者と思うので。おそらく脚本を受け取った時に、最高に自分の役の破綻具合に途方にくれたと思うんですよ。だってやりようがないじゃないですか(笑)、でもそれを敢えて逆手にとって、あえて斎藤君が描くままに破綻として描ききったんじゃないかなぁと……。考えすぎですかそうですか。ちなみに斎藤君が与えた破綻をどうにか力づくでまとめようと力いっぱい役者力を発揮したのが大真くんの尾崎清羅だと思うのですが(そこでその名前をだすのか)。……私的には同じ「斎藤作品におなじみの破綻キャラ」の演じ方として比較すると非常に興味深いです。
 若菜さんにしても、いきなりパリに現れて愛を告白したり、いきなり上海に現れて愛を告白したり(笑)、女の情念というかありえねー!なキャラなんですが(その間がまったく描かれていない分)、それもまた「まあゆらさんだしな(月組随一のイロモノキャラ)」で納得してしまうという。しっかし、しっかしゆらさんの振袖姿は……(絶句)。何度も「いや、これはゆらさんと思うからキビシイんだ。ゆらさんと思わなければキビシクないはず!」と自己暗示をかけてみたのですが(暗示か)、そんなモノで打ち消される事のないゆらさんのキャラクターの濃さに脱帽です。この間、マンハッタン不夜城を見たときにゆらさんが普通に美女で驚いたと言ったのですが、本来のゆらさんならこういう役もできたと思うんです。たとえ歳を重ねていても。でもこの十年間培った「イロモノキャラ」というのは染み付いて消えないのだと思いました。本人がこちらに魅せるものとしても、観客の目としても(笑)。……すみません、言い過ぎました。でも、ねぇ?(聞くな)。


[起承転結の「起」「結」の話]

 と、いろいろ言いつつも、実はこの話結構好きです。和実とジョセフィーヌの恋物語として見ると、かなりくるんですが!(前のめり)あのラストは定番だけれどかなり好きです。↑で言った「起」と「結」が繋がっている、は和実とジョセフィーヌの恋物語としての、が形容詞につきます。ちなみに私が考える「起」は二人の最初の出会った場面ではなくて、和実がご老公様のみねうちよろしく(震えるほど笑った)ジョセフィーヌの生まれ変わらせた所です。ちなみにここにくるまでのストーリー展開はホントかったるかった。最初はここでいきなりジョセフィーヌが「俺、なんかふっきれた!」とばかりになるのが最高に違和感だったのですが、この「生まれ変わらせる」「生かしてくれる」というのが、後半にきて話のキーワードになっていったので、ああ、必要だったシーンだったんだなぁと。むしろこのシーンを(この台詞を)出すための斎藤君の持っていき方がダメだったなぁと。だから私的にはここが「起」です。
 非常にシンプルだと思うんです。「起」でジョセフィーヌを生かしてくれた和実、「結」で今度は自分が和実を生かすというジョセフィーヌ。この「結」への繋がりに私はぐっときたんですね。もうひとつ繋がりとして、実は1幕の「和実が父親を殺したという葛藤が愛しき人への想いの枷となる」ジョセフィーヌと、2幕で「ジョセフィーヌから貰ったブルーダイヤが和実の罪を重くする、ひいては命の枷となる」(日本語変だ)(ごめんなさい、いい言葉が思いつかない)。そんな風に互いに思い合っていながら互いの行為が相手への枷となる、っていう対比が実はあったんじゃないかなぁと思ったんです。最後に日本に来日したジョセフィーヌは、黒い瞳のマーシャばりに「愛しき人」の無罪の為に奔走したわけですよね?きっと。そこが描かれたらもっと面白かったのになぁと思いました。

 タイトルは「愛しき人よ」。「愛しき人」ではなくて「人よ」と呼びかけているところがキモだと思うんです。「愛しき人よ」という呼びかけは互いがあって、互いが向き合ってできること。物語の登場人物それぞれが、それぞれに「愛しき人」を思っている、「愛しき人よ」と呼びかけている。川島の「愛しき人よ」は届かずに、ケビンの「愛しき人よ」はその呼びかける先を失ってしまった。けれども和実とジョセフィーヌは最後に互いが互いを「愛しき人よ」と呼び合う事が出来た。「愛しき人よ」と呼べば「愛しき人よ」よ答えてくれる。時代の波(と斎藤君がくりだすむちゃくちゃな破綻ストーリー)(笑)に翻弄されつつも、互いが互いにたどりつくべきことにたどりつく。その成就感というか、ぶっちゃっけ「主人公が最後に結ばれてめでたしめでたし」な感じが、私がこの話をいいなぁと思った次第です。うん、ベタだけど好きだ。「二人だけの戦場」みたいなラストだと思ったけれど好きだ。その感動をあのフィナーレが!(うなだれ)(ねぇ?あれ意味あったの?)(素)。


[斎藤君と萌え勝負]

 唐突に。
 私この物語で印象に残っているのが3回出てくる「プロポーズ(相手に指輪をはめてくれる)」なんですね。あれは斎藤君なりにそれぞれのカプを象徴というか対比だったのかなぁ。和実から若菜さんへ、ケビンからミーナへ、ミシェルからジョセフィーヌへ。それぞれ妙に印象に残っています、斎藤君が意図したかはどうかはさておき。
 で、そこまでするなら是非和実からジョセフィーヌへの「相手に指輪をはめる」をやって欲しかったんですが!(前のめり)
 1幕でジョセフィーヌの父を殺したのは自分だと言う和実、その和実の愛を同情にすぎないと言うジョセフィーヌ、ここで自分の愛は真実であることを証明する為に和実が(プロポーズの)指輪を用意するとします(まあむっさん短絡的)(つうかそれ逆にジョセフィーヌの神経逆なでするんじゃないか?)(いやでもこの時代の日本男児の無骨さを端的に表現)(まあ偏見)。けれども指輪をはめてあげることは出来なかった。で、2幕の最後で再会した二人、和実は片時も離さず持っていたかつて渡しそびれた指輪をジョセフィーヌにはめようとする。けれども目が見えないから上手くはめられない、それをジョセフィーヌが手伝って自分の指にはめるとでも、そうやってはめてくれようとする和実の手を黙って握ってやるだけでもいい……うわー、萌えるー(私だけがな)。




 失礼しました(妄想回路暴走終了)。

 何が言いたかったというと、何故、斎藤作品がオタク受けするかという話なんですが(ええ?繋がっていないよ)(まあ聞け)(指差しビシィ!)。
 斎藤作品は萌えシーンの提示というか、単にオタクのツボを突きまくる北斗神拳のような作品なんじゃないかと思いました。
 で、オタクというのはそうやってツボを突かれるとだらーっと漏れるもんなんですよ(上記の例参照)(それはむっさんだけだよ)。そもそもオタクというのは、二次創作というか、アニパロというか、ぶっちゃけ妄想とか、そういうものになれているというかそういうものをついしてしまう人種なんだと思うんですよ(それもむっさんだけだ)。だからオタクツボを突く斎藤君(単に自分のツボをついているだけなんだけど)(笑)、そのツボを持っているオタク、需要と供給が一致するんです。で、多少の物語の破綻はツボを突かれたことによって発生する自分の脳内の二次創作物で補完できたりするんですよ(だーかーらー、それはむっさんだけだから!)。
 一般的な観客は舞台をそのまま受け止めるというか、舞台から受けたものに対して自分が何かするってないですよね?そのまま受け止めるだけじゃつまんないよね、「やっぱりこうもやもやしないと!」とは良くかおりちゃんと言い合っていることなんですが(笑)、そう言った意味でもやっぱり斎藤君の作品は一般的ではない(そのまま受け止めるのにはアラがありすぎる)、オタクには受けるという図式が成り立つのでないかと。

 さっぱりわからなくなりました。


[その他小メモ]

 ……まだしゃべるのか。

・実は今回「吉正!神!」と思ったのは、数々の萌えシーンの提示ではなくて、キリヤンにあの時代の日本人という設定を振った事だと思います。キリヤンのミニマムさ(禁句!)と、自閉感が生きるというか。
・そんな訳でラストも好きなんですが、1幕のジョセフィーヌとのデートシーンがかなり好きです。生真面目で堅物な日本人という感じ、でもあの当時のインテリとしての礼儀というかエスコート術も備えていて、その中に垣間見えるちょっとカワイイ部分とか、ちょっとお茶目な部分とか、そうやってくだけて楽しくなっていく和実っていうのがすごくよかったなーと。あのちょっとはにかみながら踊る様はたまりませんでした。
・あとやっぱり「歌えることは武器」なんだと思いました。
・るいるいの川島芳子はアリでした。というか思ったほど脚本に史実の川島芳子としての意義というか、史実そのものがどうでもよく描かれていたので、あれだけ実在の国名、人名を叫ばれても、「この人って川島芳子(史実)みたいだなぁ」とか「これって満州国(史実)みたいな話だなぁ」と言ったカンジです(笑)。
・それを踏まえた上でるいるいの川島芳子はキャラ立っていたなぁ。ラストシーンの和実の目を切ってからの熱演は拍手モノ、できなかったけれど。
・ある意味るいるいも破綻埋めキャラですな。あのテンション、あのイキオイ。
・で、みっぽうとのタンゴなんですが……ええっと私は麗河の方が上だと思うんですが!ああ見えて川島芳子はにゃんこの方じゃないかと思うんですが!もといリバだと思うんですがあえて麗河×川島だと思うんですが!
・そんな事を真剣に考えながらあのタンゴを見ていたらしいです、六実さん(サイアクです)。
・つうかみっぽうは攻顔ですな。
・真野すがたくんが美味しかったですね。初めて認識したのですが、良かったです。
・ブルーダイヤは聞いていたのですが、エメラルドタブレットは聞いていなかったので心底震えました(笑いを堪えて)。ホント、戦隊モノだよそれじゃ……。
・さららんは今回ちょっと割をくっちゃったなぁ。実質二番手は川島芳子なんじゃね?と終演後に話していたのですが。
・しかしさららんは相変わらずぎゅいんぎゅいんいってましたな。私、下手側でちょうどさららんが最初に立つところの正面位置だったのすが、思いっきり「ハイルヒットラー!」で刺されました(笑)。なんで彼だけ斜め45度先の水風船を割るイキオイなんだ(腹抱え)。
・この力いっぱい加減に、見終わってからなんかデジャヴを感じたのですが、なんて事はない、夢輝さんでした(笑)。
・でも観劇中はそんな風に思わなかった。それはさららんの力いっぱい加減は若さゆえというか、青さが残る。夢輝さんの力いっぱい加減は「このひとおとななのになんでこんなにちからいっぱいなのー!」というカンジ?むしろ恐怖?(笑)そこが違うのかと。
・そう言えばクマコさんが以前しきりに「タモさんとねつは似ている」を主張していたんですね。で、私も何かのポートでそれを納得したんですね。で、タモさんい似ているというさららんですから、なにか等式が成り立つのかもしれません。
・すごい言いっぱなし、つうか話が!話が逸れているよー!
・失礼致しました(本当にもういつもいつも)。
・最後に「愛しき人よ」の映画を見てきた家族のところ、あれ私ジョセフィーヌがアメリカで撮った「愛しき人よ」の映画だと気付かずに「ええ!まさかこの話夢オチなの!」とビビったのはここだけの話です。
・でもそれもアリなような……。



 ええっと管轄外でもこのウザさですか(ウンザリ)(ゲンナリ)。
 いや、今日のうちに言わないと多分一生言わない気がしたので(その方がよかったんじゃないですか?)


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