2004年04月28日(水)
組曲惑星より木星


 お昼休みからこんにちは。
 いつもの電車が微妙に空いておりました。え?もうGWに入っている人いるのー?(驚)。
 ちなみに私、飛び石連休ならぬ飛び石休出のGWです、ゴールデンというよりシルバー?(誰も聞いてませんよ君の話は)。


[狸御殿で思ったことのいくつか]

・そのいち
 私もシンディは狸に専念したほうがいいと思います。つうかコマに封印しておけ(素)。
 かおりちゃんの指摘通り、狸御殿ってなんかどっかで観た話、というか要素的には東宝でただいま上演中のものにかぶるのですが(笑)、狸御殿は狸御殿でアリなんですな私的に。もといあの空間あの演者だからこそ受け入れられるっていうのは大きいと思うんですよ。古きを知るOGと古きを知る客層と、「タカラジェンヌの同窓会」な雰囲気ならばシンディもアリ。逆を返すともうシンディは大劇場でも東宝でも、およそ今の宝塚では通じない、受け入れられない、許されないとすら思え。……ネガティブな意味ではなく、OG達とよろしくやっていればいいじゃないですかー、と思いました。ごめんなさい、でもそう思ったの。

・そのに
 宝塚という器に「現代」「現在」「今」というのは絶対に入れちゃいけないものなんじゃないかと思いました。「現代風」とか「今風」ならまだいいんですけれど、そのものリアルタイムは入れちゃいけないんじゃないかと。そもそも演劇には古来より「世相を反映する」という要素(あるいは役割)があるとは思うのですが、宝塚ではそれはやっちゃいけないんじゃないかと。
 で、今回の狸御殿でショーちゃんが「最近は何をするかわからない人が増えてきた、ビルに飛行機が突っ込んだり、身体中に爆弾巻きつけて爆発したり」っていう台詞があるのですが、去年もあったのですが去年以上に「今のナシー!」感を覚えました。つうか今年もその台詞が残っている事にびっくり。もといこの台詞、前半部分は「天使の季節」にもありましたな。本当は大劇場(東宝)でも同じ事を言わせたかったのかもしれない(震)。シンディに限らず、キムシンとか(漏れ伝わるスサノオの感想を聞きつつ)、小池センセとか(携帯、PC、「チョー」とか「マジ」とかそういう現代的要素)、とにかく宝塚で表現される「現在」には違和感を覚えるばかりです。せめてオブラートに包むとでもしてくれればいいんですが、もといそれが出来なくちゃ「宝塚の演出家」ではないと思うのですが、どうしても皆さんそうした現代的要素をストレートに放り込むことによって、自分の作品に付加価値がついていると思っているじゃないのかなぁ。いらないですよ、そんなの。現代を放り込まなくても現代に提起提言することはできるはずと思うんですけれどね。

・そのさん
 マジ語りウザ語りばかりなのでもあれですので。
 郷真由加さんってかっこいいですね(キラキラ)。昔の歌劇とかグラフとか見るたびに気になる人ではあったんですが、いやーステキでした!結構なイキオイでピン撮りしていたら、かおりちゃんにバレました。オペラの先を見て「ああ、むっさんの好きそうな顔だ」とまで思ったらしいです。つうか私のオペラワークはそんなに激しいのか(怯)。




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