2004年01月03日(土)
拝啓、巌流殿


 毎年思うこと。「初夢っていつの夢?」
 というわけでちゃんと調べてみたら、「その年最初に見る夢」あるいは「1日か2日の晩に見る夢」なんだそうな。結構アバウト(笑)。
 というわけでむっさんの初夢は豪華3本立てでした。
・万里の長城に登る夢。でもそこへ行くまでの道がありえないぐらい断崖絶壁で。「私高所恐怖症じゃないけれど、高所で不安定なところはイヤなのよう!こんなの無理!」と駄々をこねる夢。
・体重が10キロ以上増える夢(がーん)。
・その夢から醒めて慌てて体重計にのったらやっぱり10キロ以上増えていて夢じゃなかったんだと愕然とする夢(がーんがーん)。


 以上。どうしろと。


 プレトーク終了。今日はめずらしく日記タイトルに連動した内容です(笑)。

[拝啓、巌流殿(本編)]

 すっかり出遅れた感もあるんですが、巌流の話を。
 ええっと割と暴言系です。
 あと割と大真みらん中心ビジョンです(しれっと)(しょうがないじゃん!1回しか見れないのならそりゃ全力で見ますよ!)。
 と、言いつつもかなり疲労困憊状態で見てたので、喰らいつき度は当社比30%減です(観劇って疲れるんだね)(いやKIMIの観劇姿勢が全力だから)。







[巌流ウザトーク]

 とはいえ、決して嫌いじゃないです「巌流」。
 というか話の筋的にはすごくいい話というか、一本の芝居としていい題材を選んだなぁと思うんですよ。
 一人の剣士の成長、その剣を手放したくとも手放せなかった葛藤、剣を持ったその日から、むしろその前から人としては生きられなかった、獣。それでも人として生きようとしていた男が、ようやく「死」をもってその呪縛から解き放たれる……書きようによっては大河ドラマにもなりうる題材です(真顔)。
 でも、それが全然感じられなかったっていうのが一番のダメ出しです。どう考えても斎藤君、目先の事にとらわれすぎて(1シーンの萌えに走りすぎて)、ちゃんと話の筋を繋げるということが出来ていない。
 ラストシーンがね、すごく好きだったんですよ。死んだ小次郎の元に、アンナが現れて声をかけて終わるところとか(うわー、なんて言ったか失念)、子供の小次郎が出てきて、ようやく鞘に剣を収めることの出来た(=己の呪縛から解き放たれることの出来た)、小次郎とか。非常に好みです、はい。でもそこまで何も繋がっていないから。
 剣を捨てたいと言いながらも、戦うと否応なしに精神の高揚を感じるという。そのジレンマが見えない。
 椿が清羅のものになったと知って、嫉妬に狂いながら剣を振るう小次郎。「えー?そんなに椿の事好きだったのー?」と思ってしまったから全然説得力なくて。
「お前も獣か、俺も獣だ」……武蔵は獣でしたが小次郎は獣とは感じられなかったなぁ……。
 うう、どのシーンもすごくいいシーンになるべく要素を持っていたのに、盛り上がるお膳立てがされているのに全然盛り上がんないなんて!(愕然)
 脚本的にも、主人公の描かれかた的にも、一本芯が通っていないから、結局舞台としてぐらついている。いっこいっこの場面を切り取ればそれなりなのに、繋がっていないから、ものすごくフラストレーションが残る。
 「いや、そう言われても(いいたい事はわかるけれど説得力ないよー)」と常に半笑いでした。なんというか客席ですごいおいてけぼりにされた感じ。




 まあ、期待しすぎたと言えばそれまでなんですがね。でもあのポスターの出来もさることながら、話的にも期待してしかるべきモノだったと思いますよ?(私的にね)ああー、もったいない。ほんともったいない。



[若当主心のアルバム@巌流編]

 はい、じゃあ自分の立ち位置に戻ります。
 若当主(大真くん)中心撮り語りです。
 それでですね!(机つかみつつ前のめり)尾崎清羅に関してなんですがね!(教壇の前まで前進)。
 ……ええっと観劇日のマシンガンにしたためた。

>だけど余りにも「言わせたい台詞を言わせるために」「作りたい絵面を作るために」行き当たりばったりに舞台上の人物を動かしすぎ。舞台上の人物もまた、ひとりの人間であるわけですから、その人生と言うか人格というか生き様というか、そういうのをまるっきり無視してないですかね。

 は、まるきり清羅にかかるんですが(いや皆わかっているよ)(あと真理に関しても同じ事を思ってます)(以下省略)。難役というか、役者の力量じゃ埋められないだろうそれは、と心底思いました。
 小次郎と密会していたのを知って、椿をなじる清羅。「傷を持ったお前を誰が抱いてくれる?」そ、そんな!清羅がそんな事言うなんてー!とむっさん本気で客席でショック(大笑)。ほんとそんな事言うなんでヒドイよ清羅!今まで散々かのちかの胸で(中略)したくせに!(いやそんなシーンどこにもないから)。これはもう脚本的にアレだからしょうがねぇなと、色々考えるのを途中で放棄しました(早)。だってあんな形で死なれてもねぇ?まるで「視聴率が落ちてきたのでとりあえず殺される雑魚キャラ」的死に方じゃないですか……(知らなかったのでこれまた客席でむっさん本気でビックリ)というか(脚本的に)始末がつかなくなったから殺しておけ、っていうのが見えちゃってね……(無言)。
 それでも大真くんは「何かを考えて必死に脚本的にアレな部分を全力で埋めにいっているなぁ」と、ひしひしと感じました。そういうところはやっぱり役者だなぁと(むっさんの大真くん役者リスペクトは今に始まった事じゃないんで気にするな)。実際本人がどういう心情でこの「尾崎清羅」を演じていたのかはさっぱりなんですが、この「全力で脚本のアラ(直球)をどうにかしようとしている」、むしろ「全力ですべて丸くおさめようとしている」感じすら(笑)。その証拠に、後半の小次郎の回想シーンとか、フィナーレとかで「尾崎清羅」として出て来るところが、ものすごく「何もかも終わったすべて何事もなかった感」を醸し出していたんですよ(伝わんないよ)。なんというかそれまで本編の尾崎清羅という人物の破綻っぷりを無かったことにするイキオイで爽やかに、いっそ悟りを開いたようなイキオイに見えてきて。そう思うと冒頭の白鷺も尾崎清羅カウントしていいんじゃないですかね?(えー?)あの何故か一人苦悩して踊る大真くん(となりのゆかり君(微笑みながら舞っております)と見比べるとサイコーにオモロでした)も、尾崎清羅。あの苦悩は清羅としての苦悩だったのではないかと。最初から最後まで尾崎清羅としてカウントすると、なんとなくその人物像が繋がってくるような繋がんないよ時系列おかしいよ正月早々無理矢理寝技に持ち込むテキストもいいかげんにしやがれ目を醒ませ!












 それじゃあ、今回のアルバムをめくっておきましょうかね?(今までの話がなかったかのように)

・一枚目:小次郎との再会で「私はこの傷で女を捨てた!」と豪語する椿を「ええ!」と見る清羅。
 その台詞に微妙にショックをうけているのがオモロでした(オモロ言うな)。きっとその時清羅の脳裏には旅の途中ウッカリ覗いてしまった椿の入浴シーンが浮かんで「女じゃないなんてそんな!」と思ったに違いない(笑)。
 という話を幕間にしていたら
「いや、そしたら『ならば俺が女に!』とか言うよ」
「いや、きっと『(女を捨てた=)男でも構いません!』とか言うよ」
「いや、『むしろ男で!』とか」
「いや、『むしろ男が!』とか」
「ほんと節操ないなー(全員笑)」
 お前ら全員(クマコ、かおりちゃん、私)、そこに正座して大真みらんさんに謝れ!(爆笑)

・二枚目:椿に「私の事好き?」と言われて「はい」と即答する清羅。
 この即答っぷりがね……(うっとり)(しっかり!)。
 ほんと小次郎が出てこなければすごいラブラブ夫婦で幸せになれたはずであろうに……。

・三枚目:そのくだりで椿の手を引きつつ退場しながら、頭に手をやりつつ照れる清羅。
 いや、もうスポットも消えかけてシルエットだけだったんですがね(そんなところまで見るな)。ちょっときちゃったんだよね(自虐的に笑いつつ)。


 この他、旅の途中で椿をエスコート(違)する清羅、という写真もあったんですがここはアンナの初登場に気を取られてて現像に失敗しております(去り際だけ確認)(しまったー!あのエスコート(違)っぷりは萌えポイントじゃないですかー!)。
 あと二幕の亭主テイストやさぐれ清羅もツボだったんですが、登場してからしばらく「丸!つうか丸!」という事に気を取られていたので(笑)、これも現像に失敗しております。


 という訳で、「納得いかないところは自分で埋めろ!(大意)」とのカタリ先輩のお言葉の通り、自分で埋めておきました。
 
 冬コミ新刊(本気だったのか!)



 色々文句を言いつつも、どう考えてもむっさんのタカラヅカ観劇コストパフォーマンスは高いと思う(素)(もう力いっぱい楽しんでいるよね!)
 それでもクダを巻く私を許してください、寝正月なんで(言い訳にもなってない)。




 それでは。



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