さまざまな意見をさまざまな意見として許容できれば、きっともう少しだけ気楽に生きられると思う。でもあいにく俺の「感情」ときたらそんな風にはできていないらしい…。理解不能な解釈に直面したとき、どうにもそれが制御できなくなる。暴れだすと言ってもいいぐらいだ。そしてそれを抑圧するもうひとりの自分。これじゃあ、疲れるわな。だけど、それが自分自身でもあるんだ。もう長い付き合いだよ(笑)。
年齢を重ねていくと、知識とか経験が「直感」を覆い隠してしまう。あたかもそれが正解であるかのように…。でもどこかに違和感があることを感情は知っている。その鎧を一枚づつ脱ぎ捨てたら、もっともっと純粋な自分が出現してくるはずさ。理屈の中に真実は存在しない。そっと胸に手をあてて心の動きをじっと観察していると、不思議とその正体が見えてくる。そう、感情がすべてを教えてくれるんだ。自分が何を欲しているのかをね。
何かを表現するってことは、きっとそういうことを言うんじゃないのかな。心の底から湧き上がってくる強烈なエネルギー。それはある種の自画自賛的な陶酔かも知れない。でもそいつがなかったら何も伝わらないだろう。自分自身に感動がなかったら表現なんてできないだろう。だから…、感動がないあなたには、こだわりがないあなたには、本質が見えないあなたには、その場所に居て欲しくないんだよ。もう勘弁してくれ。あなたがそこにいることは、苦しいぐらに残酷な現実。
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