瞬間移動した先はウィル城の貴賓室。
僕が来た時にいつもあてがわれている部屋。同じ調度品、同じ匂い。
それでも着いた途端に気付く違和感。
窓を閉めていても聞こえて来る外にいる人達の声があまりに少なくて。
耳に馴染む喧騒があまりに少なくて。
「…確認しておきたいんだけど…ティアラ、君、ウェスト熱はもう
罹ってた?」
静寂を不思議に思っていると、不意にそう尋ねられる。
「ウェスト熱、って…あの西の地の風土病?
僕は免疫ついてるけど……まさか?」
「…そう。その、まさか。
ハイランドのどこぞの馬鹿が、無理を承知でいきなり第三市場
まで入っちゃって、そこで見事に感染しちゃったんだよね」
……それは、無理を通り越して無謀だ。
あそこの市場に行く人は第一市場に行って、免疫をつけてから第二・第三と進まなければ感染してしまうのに。
ウェスト熱、というのは西の地の風土病。
致死率は低いけれど、感染力が強くてしかも高熱が一週間近く続いてしまう。
いくらあの市場に稀少品が数多く揃っているにしても、いきなり第三市場に行くというのは…余りに無謀すぎる。
「……でも、行ったのはハイランドの人、なんでしょ?
どうして同盟軍にまで被害が?」
頭に浮かんだ問いを素直に口にすると、ルックは心底嫌そうに眉を顰めて、それ以上に嫌そうな声で答を返す。
「……行ったのは、ハイランドの赤いヤツなんだよね。
ったく、こっちの迷惑、ってモン少しは考えて欲しいんだけど」
……という事は。
「………トキヤ、この間、誕生日だったもんね……」
招待状は届いていたけれど、生憎その日はどうしても抜けられない
用事があったから、出席する事は出来なかったのだけれど。
ルックの言葉を察するに、愛しい恋人の誕生日の為に、第三市場でしか取り扱っていない物をプレゼントに購入した彼、が夜にでもこの城を訪れて…キス、と一緒に熱病も感染って。
そして、トキヤから城に住む人達に感染した、というのが大筋なのだろう。
…何も熱いキスと一緒に、熱病までもらわなくてもいいのに。
ほんの少しだけ呆れる…というか何というか。
「…まぁ、そんな訳で。この城にいる連中の殆どはもれなく感染
しちゃってるんだよね。ハイランドも同じ状況だから停戦合意中。
君が免疫ついてる、って聞いて安心したけど。
……青いの、見事に発熱してるよ」
「フリックがっ!?」
「……三日前に発病してね、酷い熱だってのに這ってでも行きそう
な勢いだったから」
…だから、睡眠薬か眠りの風を使ったかしたのだろう。
「…フリックはどこの部屋にいるの?」
少なからず、声が苛立ってしまう覚えはある。
だって。
無理矢理、強制的な眠りを強いられているのは恐らくは僕の所為でもあるのだと思うから。
ルックは嫌そうな表情のまま、それでも少しだけ笑いを含んだ声で。
「……自分の部屋で寝ていると思うけど?」
笑われたのがちょっとだけ気に入らなくて、平静を装って。
「…そういえば届け物、って何だったの?」
そんな僕の見栄さえも一笑の対象でしかないらしく。肩を竦めて笑いを含ませた声で返ってくる答。
「…リュウカン師を送り届けにグレッグミンスターまで行ってたんだけど?
言っただろ?『届け物のついで』だって。
……会いに行ってやらなくていいの?」
ホウアン先生だけでは手が足りない程だった、という事なのだろう。
見栄を張れたのは、そこまで。
「…迎えに来てくれて、ありがと!」
そう言い残して、駆けて行くのが精一杯。
後ろから優しい一筋の風と一緒に届く、声。
「……ティアラの願いが、青いのの願いが叶う様に…ね」
その言葉の意味は、その時の僕には判らなかったのだけれど。
フリックの部屋に入ると、ホウアン先生が付き添っていて。軽くお辞儀をしてベッドに近付く。
「…容態は、どうなんですか?」
小声で尋ねると、ホウアン先生は困った表情で。
「ティアラ様……先程、リュウカン師にも見て頂いたのですが…
フリックさんは熱、が体の中に篭りやすい体質らしく丸薬を飲ん
で、外から物理的に冷やしても中々熱が下がらないのです。
命に別状はないと思うのですが……」
ウェスト熱は確かに致死率は低いけど…でも、皆無な訳ではなく。
ましてや、フリックの運の無さは天下一品だから。
恐る恐るベットで寝ているフリックの顔を覗き込むと、端正な顔は色を無くしていて。
指を伸ばして、そっと唇に触れると乾いている感触と、熱い感覚が伝わってきて急に不安になってしまう。
「……フリック?」
枕元でそっと呼び掛けてみても、その瞳は開かなくて、声も返って来なくて。
「…ティアラ様、大丈夫ですよ。
あなた様の付添がフリックさんには何よりの特効薬でしょうから。
体に篭っている熱さえ、外に出れば後は快方に向かうとリュウカン師も仰っていましたし」
僕の肩に手を置いて、優しい声でそう言ってくれたけれど。
泣きそうになってしまうのを堪えるだけで精一杯。
「もしよろしければ、フリックさんが起きたら丸薬を飲む様
お伝えして頂いてもよろしかったでしょうか?
目を醒ますのは、まだしばらくかかると思いますので」
ベッドの横にある備え付けの棚には、丸薬の入っている陶器と水差しとコップ。
それを確認して、こくん。と頷く。
ホウアン先生は、優しい笑みを浮かべて僕の頭を撫ぜて。
「容態に変化がありましたら、呼びに来て下さい。
何もない様でしたら翌朝、診に来ますので」
そう言って、そっと扉を閉めて部屋を後にする。
窓の外は黄昏色で、もうすぐ夜の帳が下りてくるのだと思った。
……ちゃんと、瞳、開いてくれるよ、ね?