まめごはんつうしん
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2006年02月07日(火) 叱ってほしかったんだ

すべてを語ることが能ではないと思うので、実際にあったことに関しては胸の内にとどめさせてください、なのですが。






私自身、傷つくことばかりを覚えてしまっていたから、そこから逃げる手段としてコミュニケーションを閉じてしまう癖があって、それをずっと乗り越えられないでいました。どうせわかってもらえない、って。コミュニケーションって、ぶつかることも落ち込むこともあって当たり前で、でも私はその壁を一度も乗り越えられずにいたのでした。だから、拒絶される記憶ばかりがおおきくなって、誰が手を差しのべても、無意識のうちにそれをはねのけ続けてしまっていたんだろうな、って。


この壁を、乗り越えようよ、逃げないで、ね


私が何度殻にこもっても、そうやって殻をたたきつづけてくれるひと。
乗り越えたいよ。でも。自分を信じることが、私にはいちばん難しい。
自分さえも信じられない私に、どうしてそんなにぶつかってこられるの。
どうして。まっすぐに私を見つめてくれる。身動きがとれなくなるくらい。



あのときのように、たくさん泣いた。でも、乗り越えたい。
乗り越えられない原因は、ほかでもない私自身だって実は気が付いてる。ただ、認めるのが怖いだけ。ホントは私、誰かの所為で、何かの所為で、こんなふうになってしまった被害者なんかじゃない、それを突きつけられるのが怖かった。

今なら、できるかもしれない。弱いところもみっともないところも全部ぶちまけて晒してしまっても、逃げないで走り出さなくちゃいけない。不器用だって行き違ったって、わかってもらいたい。弱虫で、何もできなくてかっこわるくても、退いてしまうひとがいても、すぐにはわかってもらえなくても、挫けて泣いてしまうことがあっても、またここに戻ってきて、伝えたい。私はここにいる、その存在そのものを。



「きっと人は、生きるのがつらいときほど、
 ただ、生きてるだけで、輝いている。」




不意に目にした、この言葉に胸を突かれる。
いつしか誰にも心を閉ざして、まともに少女期と思春期を乗り越えることも諦めて、時を止めたまま年齢だけはおとなになってしまった周回遅れの自分を、ずっと恥じていた。それこそ、被害者だって思っていたのだと思う。そんなことない、ってふりをしながら。
でも、こんな私なのに必要だって言ってもらって、役に立たないなんて言葉は聞かないって叱られて、今でもここで生かしてもらっている。こんな私のこと、わかって言ってるのかなって思ってた。私なんか相応しくないってずっと思ってた。でも、私がここに立っていることは決して、申し訳ないことなんかじゃないって、思っていいのかもしれない。
私だからできることがあるのかもしれない。私だから与えられた役割があるのかもしれない。意味のないことなんて、きっと、ない。



……私、ホントは乗り越えたいんだ。
でも、もうこれ以上傷つく自分を見るのがつらいから……


私も聞かない振りしていたつぶやきを、もしかしたらだけど彼女は聞き逃さなかったのかもしれない。だから、見放さないで、あえて叱ってくれたのかもしれない。そんな気がする。
こういう人に出会ったのは、おそらく初めてではない。でも、みっともない私を甘やかすのではなく受け止めて、わかる形ではっきりと背中を押してくれた。その言葉にすがるのではなく、今度はきっと、自分の足で立てる。びっくりされても、たどたどしくても、ダメを出されても、「応える」のではなくて、私を「伝える」ようになりたい。何度うずくまっても、何度転んでも、立てたときの感触を信じながら。
泣いてもみっともなくても、前に進むことを伝えることを諦めなければ、輝きは消えない。そう信じようと思う。

信じる、ということは、ものすごく難しい。でも、その入り口に、立たせてもらった。

ありがとう。


まめもも |MAILHomePage