まめごはんつうしん
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| 2005年11月10日(木) |
ありがとうはまだ伝えてない |
うーんと。 正式に(?)お話をいただいて、もう2年、今の仕事を引き受けることにしました。一昨日のことになるんですが。 惰性でもなんでもなく、ちゃんと「自分の思い」に問いかけながら、受けました。 自分の思いに責任を持つ、っていうのは、こういうことなのかな、と思いながら。
正直言うと
まめももさんは、(もう2年)引き受けてもらえる?
って話になるとは、土壇場になって、思えなくなっていたのです。ホントに、思ってなかった。 ここひと月くらいは「どうせ私なんか」って口に出してしまうことも多くて、随分事務局長さんにいやな思いをさせてしまっていたから。一緒にやっていく仲間……としては、こんな大変なことはないだろうって。 でも、その場にいた人たち(ちなみに役員会の席だったので、事務局長さんと支部長さん、usさん)が、いろいろな言葉で、ここにいるにあたっての思いを、私に届けてくれました。
私だって、もっとほかの生き方があるんじゃないかって、思ったことはあるけれど、結局、ここにいることで得るものはものすごく大きかったし、いたほうが得だなぁって思ったのよ。確かに、それに付随するいろいろなことはあるけどねぇ…… でもね、そのことを「(自分が)潰される」ってマイナスにとってしまうか、成長できるってプラスにとるかは自分次第なんじゃないかなって思うんだけどな。
…………そうだった。 私だって「ほかにしたいことがある」って思っていた時期は、かなり長かった。潰される……というよりは、私がいたって役に立たない、という気持ちの方が強かったけど。 でも、不思議だよね、今はこっちをがんばりたい、という思いが強いの。ものを作ることは今でも大好きだけど、それはそれだって。 私自身が、どう生きていきたいのか。 私自身はそうしていたつもりだったけど、そうじゃなかったのかもしれない。誰かの期待に応える生き方が正しい生き方だって、ずっと思いこんできてしまったのかもしれない。無意識のうちに……ううん、誰かの役に立つことは必要なことだけど、まず、自分を大事にできない、信じられない人に、そういう生き方はきっとできないんじゃないかって。
私の場合、ホントに恐ろしいくらい、外的な障害というものが、この仕事をするにあたっては、無い。物理的に、転勤をしたりしてこの土地を離れるということも、よほどのことがない限り考えにくい。まめ子も……年頃になったらわからないけれど、今のところは私がここにいることで守ってもらえていることの方が多い、と思う。ついでに、彼女が丈夫で保育所を休むこともそんなにない分、私が子どものことで穴をあけることがないのもありがたいことだと思う。いや、その分私がぶっ倒れることが多いから結局差し引き0だという指摘もあるけれど(こら)。 なにより、まめだぁは今では反対するどころか、どちらかというと後押しをしてくれる(いや、前から反対はしてなかったけど、私では務まらないって思ってはいたと思う(^^;))。パートナーの理解というのは、普通ではなかなか無いことでその点ではすごく恵まれている……と、支部長さんや事務局長さんには言われました。
最後には、私の気持ちひとつなんだ……
うん、私、自分の足で、自分の思いで、生きていきたいよ。 確かに困難は、私の中にどうしようもないくらいいっぱいあるけれど。もう逃げたくないの。 拙いけれど目を逸らさないで、知恵と勇気で、乗り越えていきたい。
家庭的には障害はないので、そうすると私の気持ちひとつなんですよね。 ほんとに私でいい、というのであれば……
これからも、どうぞよろしくお願いします
…………言ったぁ。言ってしまった。 もう後戻りできないからね、私。ちゃんと、自分で考えて選んだんだ。
こちらこそ、ね(^_^)♪
一時、立ち直った気が、自分でもしていた。 でも実際そうじゃないんだな……ということに気がつくのに、そう時間はかからなかった。 些細なこと(端から見れば……)がきっかけで 「どうせ私じゃ役に立たない」 って事務局長さんに当たり散らし続けてしまい、事務局長さんがしまいには 「そういうことだったら聞かない!」 って言うに至り……(−−;) そんな自分にほとほと嫌気がさして
やっぱり私おかしい、このままでいいわけないよ!
って思って、自分というものを考えたときに……途轍もない壁を、いくつか見つけてしまった。 少なくとも、その時間を生きてきた時点の私には、その壁を積み上げてしまったことは、どうしようもなかったこと。 真っ正直に受け止めるにはあまりにも重たい事実だ、と、私には思えた。とどのつまり、このままじゃ欠陥品です、って言われたようなものだから。 私の所為じゃない、ってもがいてみたり、もう私じゃだめなんだ……ってどんなに泣いても枯れないんじゃないかと思うほど、たくさん泣いた。歩き続けながら立て直すことは、とても困難なように思えた。このままじゃ迷惑をかけてしまう、やはり専従は降りよう……そう思った。 でも、朝はやってくる。事務所に行かないわけにはいかなかった。ホントに、重たかった。今だから言えるけど、事務局長さんに会うのがすごく苦痛だった。どうしようもない負い目を、背負ってしまったような気持ちだった。
でもね。 その日々は、無駄ではなかったみたいだった。 私が置かれている状況を、把握すれば把握するほど、あることに気がついた。
これまでのことでは、もう自分を責めなくてもいい。 そうするしか、私自身が生きていく術がなかった。何もわからないのに必死でもがいていた、だからもう過ぎたことは責めたって仕方がない。 でも、今私が置かれている状況って、「気がついたもの勝ち」なのかもしれない。 私は○○だからできない……って、そのことを言い訳にして、誰かの所為にしてしまうのなら、私はそれまでの人間なんだと思うけど、そうじゃなく生きたい。こうすれば、こんなふうにしてもらえれば乗り越えられる、って思えるようになりたい。 それと、今まで「私はこうしたい」というのが、無かったかもしれない。「あなたはどうしたいの?」って訊かれたら、言葉に詰まってしまうほうが多かった。それを表に出しちゃいけない、表に出すのはわがままだ、って、思ってた。 でもそうじゃないよ、私の人生は私のものだもの。アドバイスは聞くけど、私は誰かの所有物じゃない。 何より、今のままだと、まめ子がいつかつらい思いをしてしまう。 私がくさびを打ちたい。 私ならできると思うから、気がつくように時が流れてくれたんだよね。
私、事務局長さんに対する思いに、寄り掛かりすぎていたかもしれない。重たかったよね。きっと。 なにしろここまで「空白期間」を抱えて生きてきてしまったから難しいけれど、今度こそちゃんと、自分の人生を生きたい。本来生きていく過程で得られるはずだった、空白になってしまったことは、誰かに求めなくても、自分で埋められる。時間はかかるかもしれないけれど……子どもじゃないからもう。自分のレールは自分でひく。誰かの望む私ばかりではいない。 困ったときには、ちゃんと「助けて」って言えるようになろうと思う。
やっぱり、伝えたい。自分の言葉で。 もらったものがたくさんあるのに、うまく言えなかったありがとう。 あなたに会わなかったら、この場所に辿り着かなかったら、きっとこんなふうにして、生きる道筋を見つめ直すこともきっとなかったんだよね。 あんなふうにみっともなく衝突しても、受け止めてくれて、ありがとう。 こんな私のこと、信じて待っててくれて……
うん、やっぱり、伝えなくちゃ。 言わなくても伝わるなんて、そんなふうには思わないでいたい。 前に進むためには、必要なこと。
明日の仕事のことで電話をくれたときに 「(うまくいかなくても)落ち込まないで戻っておいで」 って言ってくれて、胸が詰まりそうになりました。 うん、うまくいかなくても、落ち込まない。だけど、精一杯臨んでくる。 がんばってもどうにもならなかったことも、無駄にはならない。だめだったって、ちゃんと踏み出したい。
なんて書いてるけど。 いずれ、然るべき判断を、仰ぎたいなと思っています。 今のままでも自力で何とかなるかもしれないけれど、ちゃんと方向が見えたほうが、より前に進みやすいんじゃないかと思うから。 だから、言い訳にしたいから判断を仰ぎたいんじゃないんだもの。 身体のことならちょっと悪いだけでも「病気でないならそれに越したことはないから診てもらえ」ってなるのに、心のことは「診てもらっても無駄」ってなっちゃうんだもんねぇ……
あと、まめ子は私の「分身」では決してない、と思っています。 これがせめてもの、私の抵抗。気がついてほしいなんて言わないけれど。
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