まめごはんつうしん
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なんだかぽこぽこ間隔があいちゃってますけど。 ようやくまとまった時間がそれなりにとれそうなので、これを書いてます。
今にして思えば、昨年10月末以降の「保育園替わるかも」騒動よりこっち、いろいろ心労も重なって、手当たり次第にもがきまくって大変な思いをしましたが、3月の声を聞いてようやく、自分の周囲に起こっていることを、一呼吸おいて受け止められるようになったかな……と、思います。 (とりあえず)最後のフラッシュバックは、2月下旬。事務局の大きなイベント(子育て関連なので、私が動かす必要があった)になんとか間に合って職場復帰が出来て、それが終わった直後でした。 私がインフルちゃん(笑)でひっくり返っている間に、実家から荷物が届きました。婿殿へのバレンタイン(チョコレートケーキだった)やら、孫娘の大好きなトマトやら、靴やら。そのお礼をやっと、10日ほどして電話を入れることが出来たんでした。あーあ(−−;)。 で、私がばたばた走り回っていた間は、とりあえずまめ子に実母の相手をさせておいたんですが、どうやらまめ子が実母に 「保育園ではみんなと仲良くしていますか?」 と訊かれて 「ひとりだけどうしてもけんかしちゃうこがいるのー(←困ったちゃんのことだ)」 と言ったらしい……そう言われたと実母が言うので
まったくね、その子の所為で
保育園替わる羽目になったんですってば( ̄△ ̄#)。
落ち着く先が決まった今だから言えるんだけど……
…………実母驚愕。 祖母はここで初めて、孫娘の窮地を知ることとなったわけです。 そう、実家には今回、この一件に関しては何も言ってなかったんでした。たとえばこれが事務所であるなら、私の仕事にもものすごく影響のあることなので逐一報告する必要があったんですが(少なくとも事務局長さんと支部長さんくらいには……だから今回の一件って、私サイドに起こっていた細かい事情を一番わかっていたのはまめだぁなんだけど、次が事務局長さんなんじゃないかと思う)、これが実家だと、言われたって何も出来るわけじゃないし、困るよなぁ、って。 そう、私がこの一件に関して大騒ぎしていたのって、年内いっぱいくらいだったんです。途中でね、気がついた。騒げば騒ぐほど、つらい気持ちがふくらんでいくんじゃないか。だから特に、認可保育所の申し込みをした以降は、まめ子の保育所問題については口を閉ざしていました。実際「まめつう」にも書かなかったよね。余談だけど、だから地域班でも、かなり早い時期にその話を聞かされたTさん以外にはこの話はしてなくて、最近になって、知らせてなかった人たちに
まめ子ちゃん、保育所替わるってホント???
って訊かれたりした……話がそれてますが。 けど、この状態って、一方では気持ちを押し込めていたことにもなるわけで、結局は自分を責める方向にベクトルが向かっちゃったんじゃないかな、と、今は思うのです。
「こんなことくらいでくじけるなんて」 「こんなにできの悪い私がなんでここにいるんだろう」 「まめ子にこんな思いをさせてまで私がしたいコトってなんなんだろう」
…………これじゃ、2カ月の間に2回も熱出して倒れて当然です。病は気からというなら、その「気」がまったく足りなかったわけだから。 最初、私がインフルさんで倒れた、と聞いた実家の家族どもは
たるんどる
だの
アンタはいいけどまめ子は無事なのか?
だの、誰も私のことは心配しないのか(T^T)という状態だったのですが、まめ子の一件がよほどショックだったらしい実母に、まったく思いもかけないことを言われたんでした。
あんた心労だったんだね、だからインフルエンザになっちゃったんだよ
とか
お父さんもお母さんも遠くにいるから、そういうときにまったく役に立てなくてホントに申し訳ない
とか……私は鈍いのでヾ(ーー ) 咄嗟には
いや、私は近くにいたらなんの感謝もなく調子に乗って甘えただろうからこれでいいんだと思うし、こちらでいろいろな人のお世話になりながら乗り切れたから、大丈夫だよ
なんて言ってたんですが、後で考えるとそれはものすごく重たいことで、泣けて泣けて仕方がありませんでした。
私、やっぱりつらかった、そう言っていいんだ
って。 ホントはこの間、自分のことだけで精一杯だったんだと思う。でも、そうは言えなかった。そんな勝手なこと、言えるわけがなかった。 だから、仕事で、どこそこの地域はこれだけ成果を上げた、なんて話を聞いたって、「どうせ私は」って気持ちになるだけで、苦しいだけだった。実際問題として、私はたいした成果も上げてないどころか、足を引っ張ってばっかりだったと思う。 でも、つらいって言ったら、ホントに動けなくなって蹲るしかなくなるほどつらくなって、「もうダメです」って言うしかなくなるんじゃないかと思ってた。いや、こちらが「ダメです」って言う前に「来なくていい」って言われたかもしれない。 あ、でも、ことあるごとに泣いてたわけだから、つらいって言ってたのと考えようによっては一緒か(゜゜;)\(--;)。いや、それくらいいっぱいいっぱいだったんだ。必死になって、自力で立とうとは思っていたんだもの。
でも、それは、私が殊更に弱かったという、それだけの理由でそうなったわけじゃない、って、言っていいんだ。 ここまでの出来事は、端で見てたって充分に重かった、って、認めてもいいんだ。 そう思ったら、張りつめていたものが、ぷつっと切れたような気がして。
しばらくは、そのフラッシュバック状態に苦しんでました。ううん、身を任せていたのかもしれないけれど。 やっと、事務所で
苦しいなんて言うときっと、自分を追いつめてしまうと 思って言わなかったけれど、ホントはすごく苦しかった
って、思いを口にすることができました。。 例によって(笑)事務局長さんはその場では何も言いませんでしたが、その日の午後の打ち合わせの時に
それぞれが、自分のことで精一杯で市民運動どころじゃなくなるときもあると思うけれど、そういう思いも出し合って励まし合える場にしていこうね
というようなことを言っていました。 実際、自分のことでいっぱいで……というのは、私だけではなかったんですが。旦那様が入院したとか、子どもがふたり受験を控えているとか、自分以外の家族が自立できない状態になっているとか(!)……私ひとりがつらかったわけではなかったどころか、私よりもシビアな現実を抱えている常任委員さんもいらっしゃるんだけど。 それでも、かなり勝手だけど、私の言ったことに対する事務局長さんなりの返答がこれだったのかな、と、思えた、んでした。私がもがいてあばれてしていたのをただほっといていたわけではなくて、ちゃんと気にかけていてもらえてたのかな、って。
でもとりあえず今は、そのつらさに酔う状態も脱して、元気になりました。 今は怒濤の3月。去年も経験してるけど、いろいろ大変です。先月が欠勤も多くてかなり空白状態だったこともあって、いざ現実に直面するとアタマの中が真っ白になったりするんですが
まめももさん、前向いていこ。 (今あるものを)引き留める努力も必要かもしれないけれど、攻めの姿勢で新しいところに呼びかけることも今は必要なんだと思うよ
いつものように、ひまわりのように笑う事務局長さん。 思わず一瞬黙ってしまったんですが
…………そうですよね!
お、ちょっとは元気になったかな、とか思った自分(苦笑)。 そう、そういうことを、その笑顔で言う彼女が好きだったはずなのに、ホントにつらかったときは、それが重荷でしかなかったんだなぁ、って、あらためて思いました。 今日はどこそこにオルグに行って、こんなことがのどまで出かかってたんだけど言えなかった……なんてことをぼそっと言ったら
大丈夫、そのうち言えるようになるから(^▽^)
いつも、彼女が言ってたことではあるけれど、それを「どうせ」とばかりに曲解して意味をとってた時期も長かったけど。 その言葉さえも、ひっかかりなく受け止められるようになったことに気がついて、ちょっとほっとしました。よかった。 山あり谷ありだから、また落ちこむこともあるかもしれない。 でも、いろいろな人に助けられてだって、ひとつ山を乗り越えたのなら、それを糧にしても、いいよね。うん。
そうだね、ヒトっていつも、助けられて生きているんだと思う。 そのあたたかさに時折触れられることが、幸せだな、って、思う。 ありがとう。私にかかわってくれる、すべての人たちへ。
とはいえ。 まめつうの間隔は、きっとまたしばらくあくのでした。 今は、かぎ針でモチーフ編みをするのにはまってます。今日は久しぶりに遅くまで起きてますが、最近は日付の変わる前にはできるだけ寝よう、と心がけているので、PCに向かう暇があったら編み物したいなぁ……って(^ ^;)ゞ 。私がものづくりに没頭しなくなったら気持ち的になんかあったな、と思ってほしいんですが(苦笑)、やっぱり
あなたはそうやって根つめるから(−−;)
って言われるのはせつないので(^ ^;)ゞ、それがもとで疲れる、という事態はなるべく避けられるようにしておこう、と 。 それでいて、家事もほっぽり投げてないんですよ。散らかってるのは散らかってますが(爆)。 そんなわけなのでまた、伝えたいことや綴りたい言葉ができたら、出没することにしますね。
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