まめごはんつうしん
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2004年06月07日(月) たくさんの視点でものを見る

いやー、最近まめだぁが夕食をウチでとらない日は麺類に走るなぁ……f(^^;) 。
汁を別に作って、うどんといろいろな野菜を一緒に茹でたうどんが、最近の手抜き時の定番。えびも一緒に茹でるんですが、今日はえびがなかったのでスモークサーモンを添えました。生協の宅配を利用していることもあって、えびとスモークサーモンが常備してある魚介類、かな。なんにでも使えて高くないので(種類にも依るけど)。




って、夕飯の話ではなくてf(^^;) 。
このところ、「週末すれ違い夫婦」状態になっている我が家ですが、一昨日はまめだぁが仕事(でも午後仙台に行ったけど)、昨日は私が仕事……でした。
で、昨日の仕事……っていうのもどうかという感じですが、とある講演会への参加、でした。4月だったかに出かけた、ウチの事務局が加盟している連絡会の主催。その時一般参加でフォーラムに参加していた人に声をかけられた……ということもあったので、「一応顔を出す」程度でいいや、ということで(でもその方は来てなかった)。講演会の内容もそんなには(事務局長さん曰く)……というわけで、あゆみさんにお手紙を書くセットも持参で参加してきました(結局遊びに行ったのか? (~-~;)ヾ(-_-;) )。
一言でいうと

「細腕一代繁盛記」

みたいなお話……だったんですが、中途半端に聴いていたんだけど(ほれ、お手紙書いてたからf(^^;) )、ところどころ「ああそうかー」というところもあって、個人的にはそれほど無駄でもなかったかな、という印象を受けたんです。念ずれば叶う、ってこととか(なんとなく身に覚えがある)、感謝の気持ちが大事とか(それもそうだなぁ)、照れは邪魔とか(これは耳が痛かった)。
でも、今朝事務局長さんとその話になって、彼女曰く
「でも、あの話って結局、

「出来んもんは結局自分が足らない、悪い」

ということになるんじゃないかなぁ? 社会の制度が不備でも、それを乗り越えて生きて行けるはずだ、ともとれるし、そうだとしたらそれは違うんじゃないのかな」

…………うーん。うっかりすると巷で流行の「自己責任」なんて話にもとれかねない、よねぇ。やっぱり単純な私、物事をある一面からしかとらえられてないという(−−;)。
夢を持つこと、感謝の気持ちを持つことは、とても大事。それには違いない。不平不満ばかりのところには、幸せは来ないのかもしれない。
ただやっぱり、話を聞きつつ所々「うーん……」と思うところがあったのは、やはり

他者の痛みにちゃんと配慮が出来る

という点に欠けてた……ということなのか。確かになぁ。

って、そういう、複眼な視点がなかなか持てない私がなんと先週から、月曜日に機関紙に添付する事務局からのお知らせを書いてます。いいんか! (゜▽゜)\(−−;)
先週はまだ、県主催のイベントの話をメインに書けばよかったのでまだよかった(って言ってもものすごくプレッシャーだったけどf(^^;) 。「ちゃんとわかってるでしょうねアナタ」という感じで、久々に試験を受けてるような気分だった……)けれど、そんなわけで特に、社会のことや情勢のことに関してはものすごく理解が浅いので、的はずれなことを書いてたらどうしよう……と、かなりどえらい思いをしながら書きました。だって今日のメインの話題って


年金法案の強行採決(−−;)。


……あんなアンフェアなコトが堂々とまかり通っちゃう怒り、はあるものの、やっぱり背景などをきちんと分かってる自信はないので、苦労しました……ヽ(  ̄д ̄;)ノ 。

でも来週は書かなくていいんだ。午前中、手仕事のお仕事なので。らっきー(?)。



ところで。
昨日から、ここのページの終わりの方に、1個バナーが増えてます。(イベント終了したのでバナーは外れてます。7/3追記)
使命感……というよりも、「ろうそくの明かりで生活する」コトに対する憧れ、のほうが大きいかもしれないf(^^;) のですが、ちょっと興味があったので。まめだぁが「巻き添え」になるかなぁ、とも思うので、無理のない程度にやってみようとは思っていますが。夏至と冬至に合わせてのイベント、っていうのもいいな、と思う。夏至も冬至も、その日を境に日の長さが……って言われても決して実感が持てる感じではない(だって、夏至を過ぎてももっと暑くなるし、冬至を過ぎてももっと寒くなるし)けれど、「ああ、この日を境に日が短くなる(のびる)」んだなぁ、って思うと、なんとなくその先の季節を待つ気持ちになる……のは私だけかf(^^;) 。
でも、この催し物のいいところって、「こうあらねばならぬ」ではないところかな、と。あと、こういうことだったら、主義主張を越えられるんじゃないか、とか。
ある方のサイト(っていうか、日記)で
「運動! などと声高に力を入れてやること自体、スローではないのでは?」
というような一文があって、ああ、これが私が時に迷う原因だ、って(笑)。
思うことは一緒なんだけど、じゃあ手を繋ぎましょう、ってならないのは何故なんだろう? って。私だって、ホントはスローな活動をした方が解ってもらえるんじゃないか……と思うことも、ある。(でも、私の周囲にいる「スローな活動」の側にいるかたの中にも、たまに「ついていけない……」と思うときがあって、なんとも難しい(-_-)ゞ゛。)
でも、そうとばっかりも言ってられない、やっぱり運動として強めていかないと体制側の思うつぼ、という言い分も、わかる。
私たちのしていることに対する伝え方が足らないから、とか、そんなことばっかりじゃないような気がします。相手にばっかり歩み寄りを求めてちゃダメじゃん? って、でもそこまでは言えないのだよなぁ……あーあ。
この、キャンドルナイトのサイトにあった

対局をわざわざ繋ぐことに意味がある

ということ。対局……とは言わないまでも、ちょっとの違いで手をつなげないヒトとヒトを、繋ぐにはどうしたらいいんだろう。どちらかが一方的に折れる、とか、そういうことではなくて。ちょっと違うと、今はもう手をつなげない世の中なのかしら。みんながこんなにバラバラだから、声が届かないんだと思うんだけど、ああ。
やはり、そこのサイトで書いてたことなんですが。

「そろそろ対等に握手が出来るのではないか。
 想像通り、最初は反発されました。でも、そういう時代ではないと思うのです。」

(注:色を変えたのは筆者の判断による。)

そういう時代では、ない。私もそうだと思う。
そんな思いもひとつ、持って、夏至の日を迎えようかなと思ってます。
ほら、念ずれば叶うんだし……結局そこにいくのか私f(^^;) 。


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