まめごはんつうしん
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2001年02月13日(火) 最後のてんやわんや。

朝、最終校正終了の原稿を編集長代行のスタッフさんのところに引き取りに行きました。で、午前中はおばあちゃんがまめ子の相手をしてくれたこともあって、さくさく作業もはかどりました。お昼の仕度までしたりして。
ところが、おばあちゃんがお医者さんに行った後、さあ印刷!と思ったらプリンターがトラブりまくり(泣)。まめももイライラ、まめ子ぐずぐずで最悪な状態‥‥仕方ない!とまめ子をすっごく久々におんぶしたところ、あっさり眠ってしまいました。そのあと、もともとの編集長さん(生後ひと月にならない赤ちゃんがいるので、今回はメインでは関わってないのでした)のところに備品を受け取りに行ったり、完成した原稿を届けに行ったり‥‥ようやく落ち着いたのは夕方でした。
これでしばらくは追い回される、ということはないと思うのだけど‥‥

☆豊かになること、それと引き換えにしたもの☆
本来の予定ではなかったのですが、夜、とある市民団体が開催した幼児虐待についての勉強会に参加してきました。
なぜ予定外だったのかというと、普通の家の夕飯時に開催、だったから。3世代家族の主婦が夕飯時にいないのはまずいでしょう、と思っていたのですが、前日、ぽろっとその話をして「あ、でも、行かないって言ってあるから」と言ったら「なんで?!」と詰問(?)されたんだよ〜。なんでって言われても‥‥で、日付変わって今日。ふたりとも「行くんでしょ?まめ子なら大丈夫だから」なーんて言っていただけたら引っ込みがつかない‥‥で、出かけてきたわけです。
虐待を受けた子どもの心がどうなってしまうのか、という話で、救いようがないと言えばないよなぁ‥‥だって、結局のところは「親が「これは虐待だ」と気づかない限り解決しない」んだもの。この講習会にきていたスタッフさんは、実はわたしのほかは生後ひと月にならない子どもを預けて来た編集長さんだけだった‥‥記事書かなきゃいけなくなったらどうしよう!!ひー。
でも、ひとつ、印象に残っていることがあって、質疑応答のところで「今の親はなぜ虐待に走るのか」と、年輩の女性が質問したんです。で、講演者の方いわく、社会的背景はいっぱいあるのだけど、ひとつに、わたしたち子育て世代のひとって、いろいろなことに(特に物質的に、かな)不自由しない環境で育って、でも子育てっていうのは結構不自由なものですよね。わたしたちの上の世代の人間は子育ての前にいろいろなことで「自分を試される」機会に遭遇するのだけど、そんなわけでわたしたちの世代は初めての「自分を試される機会」が子育て、ということも多いのだそうです。
愛される経験、って、子どもにはとてもちからになるものなんですよね。うーん。

話が変わりますが、清書作業に終われている間にファックスが届きました。さーっと読んで「‥‥これをしっかり読むと仕事にならなくなる!」と思って、作業が全部終わってからじっくり読んだのですが‥‥友達が気の毒だと思って腹が立ったのでした。「なにかしてもらう」のが当たり前の人たちで、極端な話、自分に平伏さない人に対して「感謝が足らない」だの「不満だ」だのって平気で言えるその神経(言いすぎ)、っていうか‥‥「してもらって当たり前」なほうが感謝がないでしょって。
まめだぁともその話をしましたが「金があると世界が自分中心に回るってことだよね。へーこらする人もいっぱいいるから、それが当たり前になって」って。「金と地位は人間をロクなほうに持っていかない」とも。確かに。ヒトの心もお金で買える、って思うようになっちゃうのかな‥‥

愛される、って、「無償で」なんですよ、ね。何かと引き換えではなく。


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