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京都へ行こう         2002年10月14日(月)

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京都に行くことにした。ユースを使いたい。
ユースだと素泊まり3000円くらいなんだよね。お金もないけど連泊したい。
一人暮らしと違う家族旅行は、人数分金がかかるのよ。かといって一人ではまだまずいかな。

今までは旅行といってもいつも親戚の家にお邪魔してだけ。今回も京都のばぁちゃんのうちに遊びに行く。でも泊まらない。ユースに泊まる。日中は自由だ。そこからが楽しい。Webでいろいろ検索して、行くところを探す。それがまた楽しい。


そのうち一人旅もしちゃうだろうな。わたしのことだから。
ユースの思い出は楽しかったことばかり。今は流行らないんだろうけれど、わたしはいつも一人旅だったから、相部屋、結構好き。
バイクでできたらなおいいけれど、原付で5リットルしか入らないから、100kmごと、うまい具合に給油できないとアウトだなぁ。

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スラムダンクを読んだので、バガボンドも読んだ。
相棒に禅の思想について質問した。
老いて死ぬのはいいとして、残したいと思うものはあるか、と。

子供がいれば、何かが受け継がれるかもしれない。
いなくても近しい人がいれば、何かを受け継げるかもしれない。
写真家は100年500年後まで自分の作品が残ることを考えたことがあるのだろうか。
記録したいという欲求は、100年500年まで残したいとそこまで欲求しているのだろうか。絵画は欲求する。残っていった歴史も事実ある。活字は残るだろう。写真は残るのか。
残したいと思う気持ちはいったいなんだろう。
死ぬときに、何かが残されたと思えば人生成就したと思えるのだろうか。
残したいと思うものはあるだろうか。

過去の禅坊主は残すものは何もなく、人と接触せずに近しい人にも何一つ影響を与えず、そのままのたれ死ぬものもたくさんいたと言う。
一体どういう事なのかよく分からない。残したいと思う気持ち、歴史に名を、名じゃなくても作品を、残したいと思う気持ちさえ、執着なのだろうかね。

あぁ、そうかも。
なんかよく分からないけれど、精神的に高いものに触れるととてもいい気持ち。清々しい。体が軽くなる。

砂漠にそびえる金字塔。その昔描いたイメージが、また蘇る。

by HPY


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