2006年12月01日(金) |
複眼を持つということ。 |
複眼・・・昆虫の複眼は、少ないもので数百、多いものでは 数万だという。 ひとつひとつが見た情報をひとつにまとめて合わさった画像と して見てるのか、ドーム状にして見ていると何かで読んだこと があるけれど。
人の目は単眼だけど、ひとつの物事をいろいろな角度から 見るっていう部分では、複眼を持っている気がする。 この複眼が多い人ほど、物事を客観的に見ることができる 人だと思うのだ。
物事は、いろいろな立場から見ると見え方が違ってくる。 想像できる立場の数が多いってことは、ひとつの物事から得る 情報がとても多いってことになる。 まず自分を基準に主観的な見方をするのが第一で、その後に いろいろな見方をするものだと思う。
よく、「○○したことない人にはわからない。」的な発言を 聞く。経験していないものに、意見する資格はない・・・みたいな。 確かに、経験した人にしかわからない気持ちはあるし、想像は あくまでも想像なので、実際に経験した人の話が一番信用できる情報だと思う。
一般的にはそう思うけれど、子育てについてはどうだろう? 子どもがいない人の意見というのが、意外にも子育てに役立つことが多いような気がするのだ。 というのも、人間というのは親になった途端に、いくつかの 複眼を失ってしまうようだと思うから。
まず、親というのは、親に対して、概して甘いと思うのだ。 以前、自分が親でなかった時、道や乗り物、レストランなど 公共の場所で騒ぐ子どもに対しての印象を今も持っているかと いうと、全く違う感情を抱いていることに気づく。 「あんなに騒いで。大変そうだわ。」「あの子、何かあったの かしら?」など。ほとんどが、同情的な感情で、批判的な感情 は少ない。
そして、大人になると子どもの頃の感情を忘れてしまうと よく言うが、一番子どもの頃の感情を忘れている大人は、親だ と思うのだ。 人は、親になった途端に子どもだった時の記憶を全て失うというわけではないが、親になっていない人よりも忘れる率が高いのではないかと思う。
だから、子育てや子どもに対する態度について、まだ親でない 人の意見というのは、なかなか貴重でありがたいものである。 幸い、私には異世代の友人が多いので、飲み会やテニスの後の お茶で、様々な意見を聞く機会に恵まれている。
結婚しているVS結婚していない 専業主婦VS働く女性
その他いろいろな違う立場の人々は、お互いの立場の正当性を 主張し、他方の批判を繰り返している。 他方を批判することによって、自分の正当性が高まるというか 自分の人生を否定したくないから、他方を否定するのかもしれない。 でも、考えてみれば、他方の意見こそが一番本人達の見えてない部分であって、お互いが他方の意見に謙虚に耳を貸せば、きっと素晴らしい世の中になるのではないだろうかと思う。
なぜ、急にこんな話? 夕方、買い物に出かけたスーパーで、大騒ぎする子どもに対する複数の目と、耳にした言葉から、そんなことを考えたというわけ。 厳しいこと言ってる老婦人がいたなぁ。きっと孫がいないんだろうなと想像。本来、あの時代の人はお行儀には厳しい世代。 でも、孫がいる人は、つい自分の孫に置きかえちゃうから、めちゃめちゃ甘い。 甘やかされて、世話をしてもらうのが当たり前な子ども達は、 どんどん弱くなり、ほんのちょっとのつまづきに立ち向かう 力が養われず、物事は悪い方へ、悪い方へ・・・。 今の日本はそんな状況に陥っている気がする。
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