Espressoを飲みながら

2002年05月11日(土) ネットの話

 例えば、人と人が実際に出会う時には、言葉が無く、なお完全に
コミュニケーションが起こっているというようなこともあるのだけれども、
ネット世界にはそんなことは望むべくもない。

 「発言しない」、ということは単純に「存在しない」ということを意味する。

 「存在」するためには「発言」あるいは「表現」するしかない。

 それはある意味不便なこと。だってそんなにしゃべったり、書いたりする
必要のあることなんて無いのだから。よほど思索的な人か、日々エキサイティングな
人生を歩んでいる人か、有名人でも無い限り、なかなか人に語ることなど
見付けにくいかも知れない。

 それでもネット上ではたくさんの人が日々文章を書いている。
他愛もないことから、びっくりするようなことまで。
普段人と話さない人や、人間嫌いな人まで書いている。

 「誰かに聞いてもらいたい」というのは、実はとても根源的な人間の
欲求なのかもしれない。例え自分の言うことが理解してもらえる可能性が
少なく思えても、それでも人は語ることを止めようとはしない。
「わかってもらえる」までいかなくても、「とりあえず聞いて欲しい」のかも。

 そして「話を聞いて欲しい」人間と言うのは、まず100%厄介者である。
日常生活に「いつでも自分の話を聞いてほしがる人間」がいたらうっとうしくて
仕方が無い。事を荒立てると面倒になるので、穏やかに振る舞いながらも
なんとか御引き取り願いたいと心の中では思っているものだ。

 つまり、ネット上でどうしてこんなにトラブルが起きるかというと、
ネット上にいるのは厄介者ばかりだからだ。ML,BBS,2chありとあらゆるところで
日夜新たなトラブルが生まれる。やっかいものでない人はたいていはROMしてるか、
趣味としてネットしたりしなかったりする。

 だから、ネット上では必ずトラブルが起こると思っていたほうが良い。
自己中しかいないことを前提とするのがよろしい。そうしておくと、
何か起こった時に、余裕を持って対応できる。


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空遊 [MAIL]

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