例えば、人と人が実際に出会う時には、言葉が無く、なお完全に コミュニケーションが起こっているというようなこともあるのだけれども、 ネット世界にはそんなことは望むべくもない。
「発言しない」、ということは単純に「存在しない」ということを意味する。
「存在」するためには「発言」あるいは「表現」するしかない。
それはある意味不便なこと。だってそんなにしゃべったり、書いたりする 必要のあることなんて無いのだから。よほど思索的な人か、日々エキサイティングな 人生を歩んでいる人か、有名人でも無い限り、なかなか人に語ることなど 見付けにくいかも知れない。
それでもネット上ではたくさんの人が日々文章を書いている。 他愛もないことから、びっくりするようなことまで。 普段人と話さない人や、人間嫌いな人まで書いている。
「誰かに聞いてもらいたい」というのは、実はとても根源的な人間の 欲求なのかもしれない。例え自分の言うことが理解してもらえる可能性が 少なく思えても、それでも人は語ることを止めようとはしない。 「わかってもらえる」までいかなくても、「とりあえず聞いて欲しい」のかも。
そして「話を聞いて欲しい」人間と言うのは、まず100%厄介者である。 日常生活に「いつでも自分の話を聞いてほしがる人間」がいたらうっとうしくて 仕方が無い。事を荒立てると面倒になるので、穏やかに振る舞いながらも なんとか御引き取り願いたいと心の中では思っているものだ。
つまり、ネット上でどうしてこんなにトラブルが起きるかというと、 ネット上にいるのは厄介者ばかりだからだ。ML,BBS,2chありとあらゆるところで 日夜新たなトラブルが生まれる。やっかいものでない人はたいていはROMしてるか、 趣味としてネットしたりしなかったりする。
だから、ネット上では必ずトラブルが起こると思っていたほうが良い。 自己中しかいないことを前提とするのがよろしい。そうしておくと、 何か起こった時に、余裕を持って対応できる。
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