隠喩と暗喩の対話
日々の心象を抽象的な言葉で。隠喩のはけ口、いわばポエム。
うっかりぽっちゃりしていたらままたくまに時間が迫り、図らずも雰囲気パクリだと暴露してしまった某曲のテーマを弾かずに出かけたことは、儚くも正しかったのでしょうか。 きっとここに具体的に抽象的に色々なことを書けるでしょう。でも書いたことにして書かないことにします。 今日の日記のタイトルは「待ちわびた休日」にしてみようかと思う。しかしその題名は以前に使ってしまった。それにこの題名は相応しくない。なぜなら。 ああ、オレにはどうしても、あなたにここにいて欲しい。 オレたち二人で当てもなく水槽の中を泳ぎまわるだけでいい。 毎年毎年、同じ地面の上を走り回り、何を見つけられるというんだ。 昔と同じ恐怖だけ・・・。 それでもあなたにここにいて欲しい。 だとしたら、ここ数日の英語路線を継承した上で「Wish You Were Here」とするのが妥当だ。かなり妥当だ(でも「Amused to Death」に続いて「Wish You Were Here」だと、ロジャーウォーターズが続いてしまうのでやめておきましょう)。 今、脳で「How I wish, How I wish you were here」と発音した刹那、その妥当っぷりに思わず泣きそうになる。が、それは本当に泣きそうなのではなく、何かしらもわわわわあっと感情が沸き起こった、それに敢えて名前を付けるとしたらとりあえず「泣きそうになる」と表現しようと。 分かるかな。 そんなもわわわわっを言葉で表現できるのが人間の知性なんだ。人間以外の動物はもわわわわっをもわわわっわあっのまま生きている。シンプルに生きている。もわわわっわわわわぁあを時には痛みを伴いながらも言葉にしよう。もわわわわわっわわわぁを言葉にして整理して脳に記録しよう。それが思い出なんだ。それが知性なんだ。オマケにそいつの欠片を日記にしたためよう。 日記の価値。自問自答を何度も繰り返しつつ何も答えらしきものが見つからなかった一つの問題に、まだちょっともわわわわわっとしているけど、結論めいたもわわわわを見出したような夜。 それでも君や君たちがここにいないことには変わりない。 如何にいます。つつがなしや。
|