隠喩と暗喩の対話
日々の心象を抽象的な言葉で。隠喩のはけ口、いわばポエム。
ねむー。また朝だー。
今日はコレに触れないと怒られそうな雰囲気だ。思い出すなあ、米国コロンバイン高校事件。あるいはハロウィン家間違えたら逝っちゃった事件。 良識ある人が良識ある意見を述べるだろうし、心が清らかな人がワタシに代わって心を痛めてくれるから、血も涙もないの不落斎は暴言オンリー。そういうキャラだもん。そういう役回りだもん・・・。 関谷 小学生、男、刃物、殺傷。以前、学校に勤めていたという素晴らしい共通点から、関谷を思い浮かべる。 火事場 近くのスーパーに逃げ込んだ数人のうち一人は刺されっぱなしだったという。骨折しながらもフットボールを続けた選手みたいだ。美談。人間の底力見たり。 総理 事故直後、へろへろになった小学生にマイクカメラ突きつけて、インタビューする映像。なんか、難しい心境になっちゃいます。多分この後非難されるだろうけど。総理っぽく言ってみる。 「痛みに耐えてよくがんばった!感動した!おめでとう!」 (つかえるなあ、このセリフ!) 痛みっちゅうのは、カメラマンインタビュわーの良心の呵責。 感動っちゅうのは、広い意味で心を揺さぶられたって意味。 おめでとうっちゅうのは、皮肉。 …うーん。何を言っても悪役になっちゃうなあ。 かといって、日記に嘘と偽善を並べ立てるのは、むしろそっちのほうが悪。でも最後に偽善。福留の悲痛な顔に、徳満の嘘泣きを加えた感じで。「お悔やみ申し上げます」。アイゴー。
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