隠喩と暗喩の対話

日々の心象を抽象的な言葉で。隠喩のはけ口、いわばポエム。

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2001年05月28日(月) :いつかまたどこかで
「悪の経典 #66」で、チャットキャラfrac_turedが別れの挨拶に使っている、「るるるごきげにょういつかまたどこかで(さあいこう)」の起源について言及した。

これは不本意な結果だ。

就職活動開始当時、就活が終わり次第、全国行脚修行の旅に出ようと空想(計画というほど具体的ではない)していた。4月半ば、一瞬だけどなんちゃってOFFに参加する機会があり、その気持ちが高まったりもした。

本格的なOFFで避けて通れないのがカラオケ(カラオケについては後日じっくり語るとして)。その現場現場で「さあいこう」を取り上げ、別れの挨拶の起源をばらしていこう、と密かにネタをねっていた。ステソよろしく全国を駆け回り、勢い余ってネカマになってもよかった。


金の話は、今日限りで、もう止そう。野暮なだけだ。


とにかくしょーぉぉおもない事情で、財政が破綻した。引き篭もっても赤字になる勢いで。「空想」は泡と消えた。時間だけが残った。

時を金に変える作業に文字通り勤しむべきか、気合で引き篭もるべきか、著者近況で「仮想遊戯」と名づけた悩みタイムに入る。ろくな答えも出さぬまま、後者の堕落を浪費しているわけだ。答えを出そうが出すまいが、現実は厳しいままで時間は時速一時間で流れつづける。

そんな中での、別れの言葉のネタばらし。これが、自分の中で、些細なリタイヤ宣言なのかな、と思う。「自分の中で」という表現は大嫌いだけど、使わざるを得ない。一人で勝手に暴走してるだけで、他者に対する説得力も責任も何も持っていないのだから。

ちなみに、これ、「なみきんぐ詩集」の詩「いこう」に対する1行レスが伏線になっているんだけど、よっぽどの不落マニアじゃないと気づかないね。


愛すべき人々よ いつかまたどこかで

さあいこう 君とこのまま


買って聴いてね。

(;´Д`)・・・・・・---−−−☆よろしこ


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下駄不落斎(ふらくやん) |メイル諸悪の根源自己嫌悪(復刻版) profile


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