フォーリアの日記
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| 2017年07月03日(月) |
甲府の恵林寺、善光寺へ |
今日は晴れ。 雲は多く蒸し暑いです。 かなり本格的に暑くなり35度くらいになったみたいです。 夜も暑いです。
今日は朝から車で山梨県へ行ってきました。 夫が前から武田家の菩提寺である恵林寺と、 武田信玄が合戦から避難させるために長野から移したという善光寺に行きたいと言っていました。 何年か前の土曜日か日曜日に向かったのですが、中央道のあまりの渋滞にあきらめて山梨県に達せず 相模湖SAで休んで途中で帰ってきました。
今日は月曜日なのでそんなに混んでいなくて渋滞もなく無事到着しました。 途中首都高から中央道に続けて入るはずが、 ナビの右へという指示がよくわからなくて間違えて手前の出口で右へ入って出てしまったので、(初台辺り?) 中央道にはまた入りなおしました。
恵林寺は街中ではなく結構山に向かって行った方にあるのですが、 広い参道や境内がよく整備されていて檜が見事に茂っていて荘厳な雰囲気でみごとでした。
善光寺は街中からちょっと山へ向かう境目辺りにありました。 ここはあまり人が来ていませんでした。 武田信玄が長野の善光寺のすべての仏像や宝物、僧まで移動したとのことなのです。 それが親切にも長野に返されたという話は全然どこにも書いていないのですが、 お寺の受付にいた人に話を聞いたら、そんな簡単なものではなかったようです。
信玄の死後、秘仏だけは織田信長が奪って行って、 信長の死後、豊臣秀吉が手に入れて長野の善光寺に返したそうです。 それも甲府の善光寺を引き立てた家康に対抗してのことだと言うから親切というよりきな臭い話です。
秘仏以外の仏像、前立ての釈迦三尊像は甲府にあるのが本来の物で、 長野にはなくなったので他から持ってきたそうです。
他の宝物も長野から持ってきたままで、今は宝物殿に収められているようです。
建物や配置は(少し小さいものの)本当に長野の善光寺とそっくりでした。 完全に移すつもりで同じものを作ったのだから「似せて作った」と言ったらいけないのだそうです。
帰りは多少甲府の町中でいくつか曲がり損ねてウロウロしましたが、 無事中央道に入り、首都高経由で帰ってくることができました。
帰りにちょっとスーパーによって夕食用品を買って帰りました。
結構疲れました。
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