フォーリアの日記
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| 2010年03月04日(木) |
大阪へ行く友人・ビブラート考察 |
今日は天気はよくなかったのですが、 なんとか夕方まではおばあちゃんが散歩に行ける程度は持ったみたいです。
私自身には忙しいことは何もない木曜日ですが、 まわりは私に用があるようです。 ヨガのために1時間取るのもやっぱり難しいので、 なるべくやらない日ばかりにならないためには 30分でヨガを終わらせるのはなかなかいい考えです。
仙台の友人がとうとう大阪へ行くことになったのですが、 このままでいるよりいいなるべく希望を持つようにしているようですが やっぱりいろいろ不安があるようです。 そりゃそうだと思います。 ずっと仙台に住んでいて、この歳になって(私よりちょっと上)はじめて大阪へ行くのです。 東日本でも不安だろうけれど、大阪というとかなり文化が違います。 適応するにも仕事をしていくにも不安なことだらけなのは当然です。
--------- ところで話の中でちょとビブラートの事が出たので 直接関係ないけど関連して思い出したので自分の意見を書いておきます。
私は合唱におけるビブラートは悪ではないと考えます。 もちろん、古楽などの演奏で指揮者がそこまで凝りたい場合には なるべくノンビブラートというのもありだと思います。
古楽にこだわってノンビブラート奏法をするオーケストラや指揮者もいるけれど 現代のオーケストラの弦楽器がビブラートを掛けてバッハやモーツァルトを演奏するのも普通です。 ロマン派以降の音楽なら、弦楽器がノンビブラートではとてもじゃないけど物足りないと思うのです。 そのような感覚で合唱のビブラートだってありだと思います。
完全に同じ音程を保とうした声は緊張を続けますが リラックスした柔らかい声にはビブラートが自然に掛かります。 柔らかさを保ってビブラートを減らそうとすると、どうしても音量を下げざるを得ません。 ノンビブラート奏法にはどうしても音量を押さえた寂しさがあると思います。 合唱においても、ビブラートを掛けることの明るく華やかな効果も捨てがたいと思います。 ビブラートが掛かっていても、基本となる音の和音が合えばきれいに聞こえます。 基本となる音自体が不安定だったり、基本となる音が判別できないような揺れは論外です。
こんな研究をしている人たちもいるんですね。 http://prius.hc.t.u-tokyo.ac.jp/~kumikom/fit02.pdf なかなか面白い(納得いく)結果が出ています。
ところで、どこかの合唱指導者が発声法について書いているホームページで、 弦楽器は中心となる音程から上下に揺らすビブラートを掛けると書いてありましたが、うそですね。 弦楽器奏者に聞いてみるとわかると思いますが、 弦楽器は中心となる音から下へ揺らすビブラートを掛けます。
人はビブラートが掛かっている音を聞いたとき、上の音を中心となる音だと感じますから、 それは当然だと思います。
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