フォーリアの日記
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2007年03月23日(金) 暖かかった・「臨界」という表現の違和感

今日は暖かかったですね。
2日続けて暖かいと、コンクリートの建物も温まって、家の中も暖かくなります。

朝、電車の中から2度目うぐいすの声を聞きました。
上中里の駅の西側は、公園か何か知らないのですが木立のような緑多い所に面しています。
ドアが開いた時に、その木立の方からうぐいすの声が聞こえました。
何度も鳴いていました。

ところで、歯医者で一眼レフデジカメを買う件ですが、
新しい機種がどんどん出るので、先生、少し様子を見るつもりが出てきたようです。

暖かかったので、帰りの電車では上方のファンから冷風が出ていました。
それがつり革につかまった手に直接当たるので、手がすっかり冷えてしまいました。
これはたまらん、と息を吹きかけ始めたら、ちょうど前の席が空きました。
幸い2駅ばかり座れたのでその間に温まりました。

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ところで、原発事故でたびたび出てくる「臨界」という言葉ですが
間違って使われているようで気になって仕方がありません。
朝日新聞などは「短時間に大量の放射線や熱の出る臨界」など記事に書いて人々を惑わしています。
http://www.asahi.com/national/update/0322/TKY200703220452.html
臨界とはそれを超えると核分裂がどんどん連鎖して起こるようになる境界なのです。
本当は臨界点ではまだ核分裂がどんどん起こる状態ではなく平衡状態です。
http://mext-atm.jst.go.jp/atomica/dic_0831_01.html

新聞で「臨界状態が続く」と称しているものは「臨界を越える状態が続く」とすべきなのです。

こんな話は前にも日記に書いたような気がします。

夫は温泉たまごを(ある地域で)ラジウムと呼んでいるみたいだと言っていました。
例えは突飛ですが、それに近い違和感はあります。

他の例えを考えると
「隣の柿の木の枝がまた境界を越えてうちの庭に入ってきたよ。」と言うべきところを
「隣の柿の木の枝がまた境界になってうちの庭に入ってきたよ。」と言われたような違和感です。


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