フォーリアの日記
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| 2006年11月13日(月) |
芸術劇場「蝶々夫人」 |
今日は朝は冷え込みましたが、昼間は昨日のような北風は吹かず 少し暖かさが戻りました。
午前中(昼前)友人から電話がかかってきて長電話してしまいました。 歌友達なので、ちょうど、昨日のNHKの芸術劇場の「蝶々夫人」を見ての不満を語り合いました。
昨日の演奏は日本人キャストとしてはかなり豪華メンバーを揃えたと思われ、 歌唱力だけなら不満はなかったのですが・・・。 http://www.nhk.or.jp/art/yotei/2006/20061112.html
オール日本人キャストによる演奏なので日本らしさをよく表現しているというつもりなのでしょうが、 何かおかしいのです。
蝶々さんが出てくるなり斜めに立って客席側の肩を下げて歌います。 はっきりいって、変です。 周りの御付きの女性たちも斜めなので演出なのでしょうか。 でもここだけなら・・・と思ったら 結局最後まで主なアリアすべて斜めになって歌われました。
おかしいじゃありませんか。 清純な蝶々さんの着物姿の美しさを出すのに、なぜ斜めになって品をつくらなければならないんでしょう? おまけに動きすぎです。 清楚な日本女性のはずの蝶々さんが 両手を広げて振袖をなびかせて走ったり回ったりする必要があるんでしょうか? 喜びや悲しみは歌で十分表現できるはずです。 ストーリーを表すだめでも、もっと小さな動作で十分です。
斜めの表現は見ていると頭が狂います。 蝶々さんが狂った人に見えてしまいます。 ストレートにこちらに届くはずの気持ちが届かなくなります。 あれは演出家がそうするように命じたのでしょうか。 でも、演出家がそこまで指示するのでしょうか? (演出でなくて歌い手の癖だったら困った癖です。)
港に着いたはずのピンカートンを待って夜を明かすシーンでは オケの伴奏で期待に反して何も起こらず時が経つようすが表現されますが その間中手を広げて斜めに立ったままでした。 自害する直前のシーンのアリアまで斜めです。 正面を向いて全霊をかけて歌うアリアなのに。
蝶々さんの立ち居振舞い自体は着物になれた人とは言い難く、 ぎこちなさが目立ったのですが、 あんなに動き回らせなければ、それも目立たなかったかもしれません。 逆に演出が悪くても演技力がもっとあればそれを超えた表現ができたかもしれません。 なんとも後味の悪い舞台でした。
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