フォーリアの日記
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友人の出身校のコーラスの演奏会に行ってきました。
私は学生時代オーケストラに所属していたので 他校のオーケストラを聴きに行くことはよくあったのですが 実はコーラスの演奏会を聴きに言ったことはありません。
長く歌など歌っているようですが ちゃんとコーラスに所属したのは、当時まだママさんコーラスだった (ママさんコーラスというには今はだいぶ高齢になっていますが) 今行っているコーラスが最初なのです。 (転勤族にはその後いろいろ変遷があるのですが)
そういうママさんコーラスは、ある程度の年齢になってから初めて歌を歌うという人も多く 練習も週1回と少なく、時間もせいぜい2時間。 そういう環境でのんびり練習しているのですから、 もともと音楽的な完成度については多くは期待していません。 そういう大人の団体にはそれなりの楽しみ方があるのだからいいのです。
合唱祭などで他の団体の演奏を聞いてもいろいろです。 中にはちょっと耐えられないのもあるけれど 声にバラツキがあったり音程の狂う部分があったりしても 楽しそうにリズムに乗って歌っていると聞いている方も楽しいのです。
目黒区の合唱祭に出て来る学生合唱団というと東工大コール・クライネスなのですが ここはすっごーーくうまいので、これを標準だと思ってはいけませんね。
世田谷区の合唱祭(?)で国士舘大学の少人数の合唱を聞いたことがあるのですが これは歌そのものより、若い人の声は無理さえしなければ どうやって出しても美しいということに感激しました。 35歳をすぎると正しい発声をしないとおばさん声になってしまいます。
というわけで、あまり学生コーラスを聴いたことはないので 歌っている者としての感想というのはむずかしく 普通にオーケストラを聴くように聴いてしまうのですが。
で、話はもどりますが行ってきた演奏会。 たいへんよく練習がされていることはわかるのですが、音楽をやっていない。 全体を聞いていないというか、聞くなんてことは初めから考えていないというか。
一般にソリストの演奏が音楽の流れをまったく無視したひとりよがりのものに なっていることはよくあるのですが 合唱の場合は個々のメンバーがそれぞれひとりよがりで歌っていたら よく練習されていると感じることはありえないので 何かを聞いているのでしょう。 でも、音楽の流れは捉えられていない。歌われていない。 いったい何を聞いているんでしょう。 練習において何か肝心ことが抜けているように思います。
合唱曲というものは、ハーモニーが重なるだけでも美しく 楽譜にしたがっていくだけでも自然に最低限の音楽が作り上げられるようにできていると思っているのですが そのハーモニーさえも肝心なところで合わない。 大勢の人が同じ音を出しているのにみんなでずれているという不思議な状況です。
おわってからも音楽を聞いたという感銘が何も残りません。 歌う方が何も音楽を伝えていなかったのでしょう。 ひとつのマスゲームが終わった、そんな感じです。
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