フォーリアの日記
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フィオレンツァ・コッソット メゾソプラノリサイタルへ行ってきました。 マリア・カラスやデル・モナコの時代にメゾソプラノとしてオペラの舞台で 活躍した歌い手で、今は67歳。
今日の公演は追加公演で、どうも会場がよくないのです。 28日の王子ホールの方がずっとましなようです。 会場のオペラシティリサイタルホールはステージと言ってもひな壇一段高いだけで、 客席はフラットなフロアにいすが並べてあるだけなので たいへん前が見えにくいのです。 前の人が首を動かすだけで、こちらも首を動かさなければ前が見えません。 首が疲れました。
さて、演奏の方ですが・・・。 あんまりいろいろ書くと差し障りがあるのかなぁ・・・。 とにかく、観客が熱狂的なのです。 もしかしてリピーターで、前の公演の興奮を引きずってきている? こちらは初めて聞くのだから、ずいぶん違和感があります。 (それに、後ろで何か薀蓄をたれている人がいるのもうるさい。)
特に最初の曲なんか聞きなれた(歌いなれた)イタリア歌曲なのですが 慣れないメゾの声質と表現の意外さに、感動するよりも戸惑ってしまいました。
歌い手も多分乗ってきて、聞くほうも慣れてきた頃には もう、会場内はブラボーばかりかスタンディング・オベーションも始まって このズレは何なんだ・・と思ってしまう。
もう最後には全員総立ちの拍手の中で 立たずに違和感を覚えていたのは異端でしょうか。
すっかり乗りに乗ったアンコールもよかったのです。 (「グラナダ」と次の曲はよく聞くんだけど何でしたっけ?それから「カタリ」) でも、もう、あの観客の中ではわけわかりません。
おそらく声そのものは全盛期の輝きはないのでしょうが、あまりそんなことは気にしません。 (というか、それは承知の上というか) 強烈な表現力で観客を引き込む力はすごいと思います。 この人や、カラスなど往年の名歌手がそろったオペラの舞台は どんなにすごかったことでしょう。 でも、私は日本人だからでしょうか。 イタリア人独特の激しい感情を露わにする表現ばかりだと それはそれでいいけれど、違うものも欲しくなってしまいます。
それと、私は楽器も演奏するので思うのですが、 昔のオペラは歌手優先、指揮者もあまり指示は出さなかったようですが 今は全体の音楽の統制、作曲家の意図が重視されます。 そういう意味でも、やはり昔風なので もっと伴奏とうまく掛け合いになれば楽しいのに、と 思うところもありました。 もちろん、それで音楽の流れが壊れるようなことではないので それはそれでいいのですけれど。
--------------- スタンディング・オベーションで思い出したことなのですが 自然にスタンディング・オベーションをしたくなるような演奏もあったのです。 3年前に聞いた、ゲルギエフ指揮、キーロフ歌劇場管弦楽団。 シェヘラザードとベートーベンの交響曲第3番「英雄」だったのですが これは文句なしにすばらしかったのです。 アンコールのローエングリン第三幕への前奏曲の終わり方も華々しく、 当然、ブラボーと拍手の嵐を予想したのですが・・・。
許せないな、ださいたま県民(市民?)。(←差し障りのある発言) スタンディング・オベーションどころか熱狂的な拍手を捧げたのはほんの一部。 大多数は、なんだか普通に静かに拍手しているだけなのです。 私は叫びましたよ「ブラボー」と。
翌日のサントリーホールでの公演は観客の熱狂的な拍手と スタンディング・オベーションで終了したそうです。 二度と大宮ソニックシティでなんか聞かないと決意しました。 (近いし割安だし、いいと思ったのですがねぇ)
それはそうと、最近、ゲルギエフ、キーロフのシェヘラザードのCDが発売されたようです。 宇野功芳さんの帯評にはこの時の演奏のことも言及されています。 このCDもすばらしい演奏なんだろうか。買う価値がありそうかなぁ。
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