武ニュースDiary


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2014年07月06日(日) ELLE MEN(中国)の記事(1)●追記

6月末に中国で刊行された「ELLE MEN」7月号の表紙と、
表紙人物記事が金城武です。
映画公開に向けて、少しずつ露出が始まってきたなという感じがします。

早くもELLE MENのサイトで全文がアップされ、写真も見られ、
海外のファンとしては大変便利です。が、雑誌で初めてみる楽しみというのもあるんですけどね。こちら

久しぶりのインタビュー含む記事なので、私も久しぶりに訳してみます。
長いので分けます。写真はサイトでご覧ください。



金城武
俳優でなければ、木を植え、豚や牛を飼う



金城武はマスコミ関係者には、インタビュアー殺しと思われているかもしれない。
しゃべらなすぎるからだ。
もし、1つ質問をして、3言答えてくれれば、それだけで黙ってしまったとしても、
インタビュアーはまず感動の涙を流すだろう。
インタビューの間中、彼はずっと眉をしかめて考えている。
買ったばかりのゲームをどうやったら攻略できるのかを考えているのだろうか?
でなければ、ネットの友人とオフで会った方がいいだろうかとでも?

実は、彼は多くの人が想像しているほど、現実離れはしていない。
本当にどう答えたらいいかを考えているのである。
そのまとまらなく聞こえる話からは、スターではなく、1人の普通の人が見える。
それは一種まれにみる誠実さなのである。

ほとんど誰でも金城武のそれぞれの側面を知っている。
女性にとっては男神、永遠の結婚対象、
ファンにとっては“あなたの映画を見て育ってきた”年をとらないスター、
昔なじみの陳昇(ボビー・チェン)の目に映るのは
“野暮ったいあんちゃん”であり“天母のおばかさん”だ。

実際は、“誠実な人”として、平然と台湾の街をバイクで走り、鼻歌を歌う。
南極大陸でペンギンとあざらしの生と死を見て静かに悟り、悲しむ。
奈良公園で1頭の子鹿に触れて子どものように喜ぶ。

誰もが、金城武には霞を食って生きているような遊離感があり、
まるで、いつもドライアイスを携帯していて、
人が多いところにぶつかると、水をかけて“仙人の気”を放つみたいだと言う。
本当は、そのいわゆる遊離感は、“
誠実な人”がフラッシュの猛攻を浴びることで生まれる落差に過ぎない。
演技するとき以外は、金城武はいつでも自分の最も真実の部分を、進んで見せている。
オンでもオフでもスターの仮面を外さない者もいるが、彼はそれを好まない。

歳月は無常、だが必ずしも悪いことではない

金城武に初めて会ったのは、ブダペストでのことだ。
久しぶりに近くで見ると、彼の顔つきは確かに変化していた。
非常にわずかだが、感じられるというような変化が。

歳月は果たして何人も逃そうとはしなかった。
それは必ずしも悪いことではないけれど。
17年前、彼は初めてこの東欧の年を訪れ「ダウンタウン・シャドー」の撮影をした。
当時、彼と共演のチャーリー・ヤン、陳小春は
“二流のヤングアイドル俳優”に過ぎなかった。
そのとき、20歳を超えたばかりで、みずみずしく青臭く、
ヨーロッパ中を駆け巡り、完成した映画は1000万元の興行成績をあげた。
ハリウッドの流れ作業方式を模した香港映画であった。
今、彼はほぼ大監督としか仕事をしない。
たとえばジョン・ウー、たとえばピーター・チャン。
新作である「太平輪」は各国の一流俳優を集めた映画である。

インタビューのとき、彼は椅子に軽くもたれ、
リラックスしていると同時にある警戒心を保っていた。
人見知り指数急上昇。
まずブダペストの話から始まった。
彼はこの町のあちこちに来ていて、たとえば道を見ると見覚えがあるが、
行ってみると以前とは少し違っている、というような。
彼は、ヨーロッパに長く滞在すると怠け者になり、
「いつも帰りたくないと思ってしまう」と笑いながら自嘲する。
この話が出たとき、あのよく知っている金城武が帰ってきた。

昔、台湾のマネジメントの一人者である葛福鴻が金城武を気に入り、
契約を結ぼうと考えて、ベストセラー作家の王碧莹に意見を求めた。
王碧莹は彼を一目見て、
漫画の主人公のような外見と日中両国語を話せる利点のほかに、
“老いに耐えられる”特質を認め、
年齢が上がるほど人気が出るだろうと断言した。
今考えると、この見解はまったく間違っていなかった。
ただ、“老いに耐えられる”は、どう理解すべきだろうか。

たとえば酒やお茶などは長い時間を経て渋みや刺激が少なくなってこそ、
まろやかな味になつことを私たちは知っている。
もちろん、もともとの素質が良く、
それだけのものを恵まれていることが大前提である。

金城武の素質と疑うものはいない。
“老いに耐えられる”ことが少年金城武の出発点であり、
今でも自分自身にしか頼らない、今日の金城武を作ったのかもしれない。

彼が歌手としてデビューしたことを知るものはほとんどいない。
もし、アイドルが流行した時代背景を知らず、
また師匠である陳昇によるプロデュースというイメージ作りを別にすれば、
歌唱力だけで言えば、彼は確かに“歌手”とは程遠い。
後のインタビューで彼はおおらかに認めている。
「最初はいろいろなことをしました。使い走りや雑用も。
一番好きだったのは演技だけです」

若いころ、彼はフェイ・ウォンと一緒に、
台湾金馬奨のゲストプレゼンターを務めている。
授賞式のとき、彼は笑わせようとしたが、うまくいかず、気まずくなってしまった。
それに比べ、“クール”で名高いフェイ・ウォンのほうは、
生き生きと明るく、反応も素早かった。
演技以外の、スターという身分に付随するものは何でも、
彼はあまり得意でないことがわかる。

幸い、映画にこだわり続けたことで、
映画界に移ってからは大監督とばかり仕事をしている。
ウォン・カーウァイ、ジョニー・トー、ピーター・チャン、
チャン・イーモウ、ジョン・ウー……
なかなかないのは、それぞれの名監督との仕事が1回だけに終わらないことだ。
最初の仕事は、もちろん、この金城武という名の青年の
“美貌”“使いやすさ”“適性”ゆえである。
2回目、3回目となって、
ある重要なスタッフのメンバーの1人にまでなることさえあるのは、
彼に非常に大きな可塑性と、歳月によって磨かれた魅力と精神力あればこそなのだ。(続く)
ELL MEN睿士7月号


金馬奨のときは、面白くて良かったと私は思いましたけどね。
見るたび笑ってしまいます。



追記  

上で言及された金馬奨の動画がYou Tubeにあります。
「心動(君のいた永遠)」のときだから、1999年?


  

この翻訳はしたことなかったかなあ?
他でしてくださっていたから、してなかったかもしれない。
わからなくなってしまいました。



    BBS   ネタバレDiary  0:30


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