武ニュースDiary


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2008年02月03日(日) 上海電視

12月の雑誌「上海電視」のコピーをいただいたので、記事を訳してみました。
表紙もお借りしたものです。


   
  

金城武
ぱっと飛び出して行きたいこともある


噂では、彼はアジアのマスコミのインタビューは受けたことがないそうだ。
が、その証拠はない。
記者の質問にはいつも「わかりません」と答えるのだそうだ。
面と向かって本当かどうか、聞いてみた。
「とんでもない……」と、彼は笑った。

彼は外に出ない。人は好奇の目を向け、謎めいていると思う。
「本当は、内向的な性格で、人が多くいることに慣れないんです。
後でわかったんですけど、兄も同じ性質なんですよ。
人が大勢いるのを見ると、固くなってしまう。
映画を見るときも、人が一番少ない回を選んで見に行きたがります。
でも、兄はスターじゃないし、誰からも見られるわけではない。
ということは、そういう習慣は、必ずしも仕事のせいではないってことですね」

彼は1973年生まれである。
不思議なことに、1973年生まれの人には、往々にしてあるはっきりした特徴が見られる。
他の年生まれの人たちとは違っているのだ
――それは、子どもっぽさと老成したところが奇妙に入り混じっていることである。
金城武にも、彼が演じた人物にも、それは認められる
。

スクリーンを離れると、あんなにかっこよく毅然とした感じではない。
むしろどこか弱々しい。


「投名状」のプロモーション活動がすべて終わると、
金城武はホテルに戻り、人と会う。
その痩せこけた体が廊下を行く。
ちょっと周囲を見るだけで、ひたすら歩いていくのが、
人と出会うや、たちまち礼儀正しく笑顔で挨拶をする。
礼儀をしっかりしつけられた子であるのがわかる。

スクリーンを離れると、彼は映画の中のようにかっこよく
毅然としているようには見えない。
それどころか、どこか弱々しさがある。
話すときは、まっすぐ相手の目を見て、すぼめる唇の形がきれいだ。

金城武を好きであることは、ほとんど一種の本能である。
彼を好きな女性にとっては。
たが、彼は誉め言葉のたぐいには、どう対処したらよいかわからない。

「人が、ぼくのことをかっこいいと言ってくれるとき、
何とこたえるべきかわからない。
ただ、ありがとうございます、とだけで、それ以上何も言えません。
容姿は父母がくれたもので、きれいだよと言われれば、もちろんうれしい。
でも、ぼくとはあまり関係ないことのような気もするんです」

その言下の意味は、�猩�せずして報酬はもらわない�瓩箸いΔ海箸澄�
だれもが褒めたたえる容貌は、彼はただ持っているだけで、
なんの貢献もしていない。
誉められると、彼は後ろめたく思う。
彼の容貌を思わずほめてしまう人は、彼にではなく、
彼の両親にそれを伝えてもらうよう、頼まねばならないことを忘れないように。(続く)


(11:40 更新)
こちらは大雪です〜。
金像奨、また……。でも、賞に関係なく、彼は成長を続けているし、
ノミネート漏れを惜しいという声が毎回出るような存在になってきたと思う。
さて、続きです。



彼はあっさりと、はっきりと認める
俳優は監督の手中の駒だと


彼は論理を追求したがる。
演じる役について、彼はいつも監督と、その人物の論理をはっきりと整理する。
それが彼が人物を理解する大事なよりどころなのだ。

「投名状」の撮影中、彼はピーター・チャンとずっと話し合っていた。
「姜午陽がこうするのは筋が通らない」
「姜午陽がああするのも論理的におかしい」……。
あるときは、ピーター・チャンが、「武、君が正しいよ」ということもあれば、
「論理なんかどうでもいいのさ。こうした方が面白いんだ」ということもある。
だから、金城武は困惑せざるを得ない。

彼は善良な性格で、自分が俳優としての正式な訓練を
受けていないことを自覚していて、それゆえ、自信が持てない。
監督の指導と、薫陶を非常に必要としている。
こういう心の状態は、子ども時代の経験と関係がある。

「ぼくの父親は日本人で、母親は台湾人、ずっと台湾で育ちました。
日本人学校に通い、言葉は、どれもあまりうまくないと思います。
アイデンティティもいつも揺れていました。
その後香港で映画に出ました。
映画に出るようになって、何人かの監督達と出会い、
いろいろなものを、考え方をもらいました。
映画とは面白いなあと思います。
つまり、ある人とぼくとがある場所で互いにつながりあう。
2人は完全に別々の人間だけど、ぼくが演じることである交点が生じます。
ぼくはこの交点を理解しなければならない、それは一種独特な経験です」

彼はプロとしての訓練を積んで、俳優は自分の考えを多く持たなくていいのだと思った。
彼はあっさりと、かつはっきりとこう考える。
俳優はすなわち監督の手中の駒であると。

「『LOVERS』は、内地の大監督と仕事をするチャンスをくれました。
監督とも、いつも話していました。
この人物は論理的におかしい、
彼はなぜチャン・ツーイーを愛したのか、ぼくにはわかりません……。
でも、それでもやっぱり有意義な経験でした。
どの仕事でも、ある人物を演じること、
それは他人の考え方を理解することでもあるからです。
監督のことも、その役のことも」

話をするとき、決して「自分が、自分が」と言わない

心のままに生活できないということに、彼の矛盾がある。
彼はもともと大変静かな人で、その上、人気絶頂になれば、
普通の人間の暮らしはまず無理だ。

一方、俳優としては、もし自身にさらなる成長を要求するのであれば、
生活の中で、様々な人を観察したり、経験したりすることが、豊かな訓練となる。
これは矛盾せざるを得ない。

「確かに、パッと表に出て行って、屋台に行ったり、
街を歩いたりなんてこともしたいですよ。
でも……一緒に過ごすのは仕事のスタッフ、それから友達、家族で、限られています。
それからネットで知り合った人も少し。
これは確かにすごい矛盾です。
演技力を高めるには、生活が必要だ、けれども、一般の人の生活には触れられない。
確かに矛盾してます」

彼は重苦しいものはあまり好きではない。
年齢的なことからかもしれないが、彼は、黒澤明のような風格には、
しっかりした文化的基礎が必要だと思っている。
しかし誰でもそういう文化が必要なわけではない。

子どもの頃、彼は俳優になろうなどと考えたことはなかったし、
何になろうという考えもなかった。
大きくなってから、その世界の大物が仕事をくれ、
ついついこの世界に入るようになっただけだ。
その後長い時が経ち、少しずつ、自分自身をかえりみるようになり始めた。

彼と、彼が演じた役は、1つのことを固く信じ、一貫して変わらない、
ある種の子どものようなあどけなさと頑なさをもっている。
世間の考え方にぶつかり、両方をうまくすりあわせる方法を
どうしても見つけることが出来ない。
それが変化するには、時が必要なのかもしれないし、
また一生涯変わらない性格なのかもしれない。
ピーター・チャンは、こう言っている。
自分が金城武を好きなのは、彼が話をするとき、
決して自分のことばかり言うことがないからだと。  (完)


他の写真は、画像をお借りしたブログ<「赤壁」戦記2007>さんでどうぞ。



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