武ニュースDiary


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2006年12月16日(土) 「BAZAAR」中国版12月号(傷城)�◆Υ�

ニュースがいろいろとはさまって、置き去りになっていた
大陸版「BAZAAR」の続きです。
あと1回で終わり。 →その後更新




おのれに対する大いなる無知

「丘健邦は悲しみを背負った人物だが、
それでも明日という日が来て生きていかなくてはならない」
彼は、自分の役について、こう話し始めた。
「思い出は自分の一部分であって、捨てることのできないもの」

だから、彼の記憶には、10数年前のデビュー当時の、
厚ぼったい髪が目にかぶさっているはにかみやの少年もいるのだ、
今日の「傷城」のうつうつとして楽しまない男にいたって、
彼は成長し、大人になり、まばゆいほどの輝きを身から放っているが、
ますます謎めていていく。

もし、ちょうど毎年1回の割で映画に出てくれなかったら、
ほとんど動向がわからない。
最近どんな新しい服を買ったのか、どんな新しい車を試してみたのか、
どの友人と会っているのか、まったく知るすべがなく、
もっとしぶといゴシップ雑誌でさえ、「傷城」の街頭ロケで、
彼が「夏の猛暑の中、革ジャンで汗だく」である様子を写真に収めたに過ぎない。
こういうことすべて、一般の芸能界では白日の下にあるべきものなので、
彼はいささかお高く、そっけなく、近寄りがたいように見えてしまう。

「傷城」の製作発表の席上で、スー・チーは、
金城武とのラブシーンを増やしてくれるよう監督に袖の下を使ったと、
冗談を言った。
彼の名前は「ハンサム」のほとんど代名詞化しており、
デザイン界の巨匠Karl Largefeldも
かつて、彼の風格は無敵だと激賞したことがある。
昔、費雯麗を評して「かくのごとき美貌であれば、もう演技は必要ない」と
言った者があるが、この言葉はそのまま金城武にも使える。

今回は、香港映画史上の名作「インファナル・アフェア」の監督である
アンドリュー・ラウとの仕事だが、
このほかにも、すでに多くの巨匠クラスの人物と組んでいる。
例えばチャン・イーモウ、ウォン・カーウァイ。
アメリカの「ニューズウィーク」誌の表紙を飾り、
アメリカ版「GQ」のインタビューを受けた。
CNNも彼に2度、インタビューを行っているが、
これはチョウ・ユンファさえ受けたことのない待遇である。

以前、彼は他人が彼の美貌をほめそやすのを恐れ、はねのけた。
どんなに努力しても、自分は飾り物でしかないのだと思ったのだ。
この種の緊張感が長く彼につきまとっていて、
しまいには自信を相当程度失わせることにもなった。
外見が注意を引きすぎることを恐れた。
以前パパラッチが彼の寝室を撮影したことがある。
いくつものあいまいな影もまた伝説に仕立て上げられた。
彼の緊張は高まり、人が本当に、その美しい顔の下の、
あの誠実な心を見てくれているのかどうか、わからないでいた。
それでも演技は好きで、他の人物になりきることを楽しむこともあった。

だから、心は、巨大なる「自分に対する無知」で埋め尽くされて、
なぜ、人が自分を認めてくれるのかわからず、
自分に一体どんな才能があるのかも知らず、
「ぼくは賢くないよね?」と問いかけ、
どんな業績をあげても、喜ぶことには慎重で、
「それ、ぼくのこと? 本当に?」と言うのだ。
これが彼をわざとらしさから遠いものにして、
その失われぬ�狃蘓喚瓩�人の心を打つのである。

どこにも分類されず

今回トニー・レオンが共演であることで、芝居には問題なく入り込めるだろう。
「ぼくは、演じる役をいつも友達として、その人を理解し、
それから彼と身分を交換する。
だから、好きだと思う役しかやらないんだ。
そうでなかったら、どうやってその人に成り代われるだろう」

探偵でも、音楽家でも、やくざなチンピラでもいい。
登場人物は、みな金城武自身の影を帯びていると感じさせる。
彼は自分がかつて演じた役をこのように表現する。
「いつも自分が何者かわからないという感じで、
眼には混乱と困惑の色が浮かんでいる
――未来が見通せない、青春時代のあがきに似ている」

役の彼らは、それぞれ、金城武のこれまでの�狡蠅泙蕕覆き疂發澆�
延長にいるかのようだ。
子どもの頃、彼は日本のパスポートを持って台湾で成長した。
まだ日本語はできず、中国語もそれほどうまくしゃべれなかった。
アメリカンスクールに入ると、今度は英語だ。
どれも少しずつできるが、どれも完全ではないという感じである。
彼の芸能キャリアもまた、このようであった。
台湾で歌を歌い、香港で映画に出、日本に行ってドラマを撮り、
アメリカでインタビューを受ける。
国際化した身分はさすらい混じりあい、
一体自分がどこのものなのかわからない。

特定のグループに属することなく、何かに分類することもできない、
それがその後、逆にある種の確固たるものとなる
芸能界はうわべだけの親しみやすさがもてはやされるが、
彼はそれに従いたくはない。
映画のプロモーションのための記者会見の席上で、
彼は礼儀正しくできるし、にっこりすることもできるが、
時をかまわず写真を撮られたくはないし、
つまらない恋愛問題を聞かれたくはない。
それをもって�爛好拭爾屬辰討い覘瓩箸気譴襪海箸法�
彼は非常に疑問を持っている。
「これは映画の宣伝です。
そのときに私生活のことは話したくないというのは、映画を尊重しているからです。
考え方が違うだけ。
どうして�爐覆鵑任癸錬豊瓩犬磴覆い函�協力的でないということになるんですか?」

私たちは、ウォン・カーウァイが彼を発掘してくれたことに感謝せねばなるまい。
彼はCDを出したことがあるが、何年も経ってから、
それらのアルバムのことを持ち出されると、いつもうつむいて笑うのだった。
「みんなたいてい何を書いたか、何を歌っているかなんて、気にしていないと思う。
ミュージックビデオを見るのが一番多いでしょ」

彼は努力して自分で歌を作り、著名なミュージシャンである陳昇のもとで学んだ。
だが、同時に、昔ながらの安っぽい青春アイドル映画に出、
�狢耋兒余�天王�瓩噺討个譴討い拭�
若さを売り物にする大勢の少年達のように、
どの道を進めば明日があるのか知らないでいた。

1994年、彼は「恋する惑星」に出演する。
ウォン・カーウァイは彼の才能を高く評価し、
ふらふらせずに機会をとらえてしっかり演技をするよう勧めた。
「彼の影響はすごく大きかった。
そのおかげで演技が自分にとってとても刺激的だと気がついた。
だから歌をやめて、俳優に専念することにしたんです」  (続く)


後1回で終わらせるつもりでしたが、
明日はまたイベントがあるし、やってしまいました。
以下、最後まで。   22:00





職業は、俳優

演技の一番面白いところは、他の人間になれることだ。
「自分平凡な人間だとずっと思ってきました。
家族だって、こんな不器用で、人前で何かできるわけがない
って思ってたんですよ。
でも、ぼくは確かにあれこれ妄想をたくましくするのが好きで、
他の人の人生をやれるというのは、
普通の人には、まあチャンスがないですから。
一番困るのは、元に戻りにくくなるときがあること。
眠ってしまえば、もう大丈夫ですけど」

演技は演技であって、有名になるとか、賞をもらうとか、
監督の名声だとかとは関係がない。
「傷城」に出演したのは脚本が好きだったからだ。
「監督の、こういう物事の伝え方が好きですね。
どの都市でも共感が持てると思います」

以前、ベネチア映画祭でアン・リーに出会ったとき、
先方から声をかけ、
「ぼくらは報道局の催しで会ったことがあるんだよ、覚えてる?」
と尋ねてきた。
ところが彼はえっという顔で、そっとマネジャーの方を向いて聞いた。
「記憶がないけど……そうだった?」
彼は「グリーン・デスティニー」の羅小虎役に、
アン・リーが初め彼を考えていたのに、うまく行かず、
すれ違ってしまったことを全く知らない。

高慢では決してなく、いつもデビュー時のような緊張感でいっぱいで、
自分のような若造に、幸運が舞い降りてくるとは
信じられないだけなのである。
チャン・イーモウが「LOVERS」で彼にオファーをよこしたとき、、
彼は自分の耳が少しも信じられず、会社のスタッフに尋ねた。
「ぼくのこと? 監督は誰かとぼくの名前を間違えて言ってるんじゃないの? 
ほんとにぼくでいいの?」

前作「如果・愛」は大ヒットし、香港金像奨の11部門にノミネートされ、
台湾金馬奨では12部門のノミネートを勝ち取った。
だが、金城武の主演男優賞のノミネートはなかったのである。
ピーター・チャンは、このことを最大の無念だといい、
他のすべてのノミネートと取り替えてもいいとまで言った。

「ジョウ・シュンももちろん素晴らしい。
彼女の演技はどちらかというと巧さが目立つので、
審査委員はわかりやすいんだ。
しかし、「如果・愛」を本当に好きで、理解している人が
最もいいというのは、決まって金城武なんだよ」

「ハリウッドへは?」という言い古された質問を投げかけられると、
彼は即答する、「No」と。
「ハリウッドは、もちろん俳優誰にとっても夢です。
けれど、もし旧態依然の役しかアジア人俳優にはないのなら、
これからも観客でいるほうがいい。
ぼくが言えるのは、ぼくの職業は俳優だということだけ。
まだ勉強中の段階で、今、多分人気はあるし、主役をやれるけど、
思い上がるようなことじゃない。
これからも努力を続け、経験を積みたいと思っています」

観察する人、観察される人

「もし、可能なら、どんなことが一番やってみたいですか?」
「顔を変えられうようになりたい。
仕事のないとき、ちょっと顔を変える。
みんなぼくが誰だかわからなくなるから、屋台でのんびりものを食べたり、
道端にしゃがみこんで、通る人を眺めたりしていたい」

彼は、他の演技の好きな人たちと同じように、好奇心の強い観察者である。
帰り道、紅葉が舞い散る風景に感動する。
暖かくない桜が咲いたのを見ても感動する。
演技者であるから、他人から観察される対象とならざるを得ないけれども、
幸い家の中ではゲームをし、ネットでおしゃべりすることができる。

「だれでもブログ」時代が到来するはるか前、
彼はすでにネットで日記を綴ることを始めていた。
こまごました感想や子どもの頃の思い出を記していた。
間違って他人に届けられてしまったバレンタインのチョコレート、
両親に泣いてものをねだったこと、
兄弟との髪を引っ張り合ってのけんか、
畑から芋を盗んで食ったこと、
眠くて、あるいはゲームをしたくて、
祖母に熱が出たから休むと学校に電話してもらったこと……
それにまた、忘れられない南極旅行。

「そこは電話も無く、テレビも無ければ、当然世の中のニュースも無い。
社会の枠に取りこまれなくてよい。
欲や理想を追いすぎると、周りの世界の本当の美しさが見えなくなる」

人々は彼との距離を推測によって埋めるしかないが、
彼はたくさんの「しかし……」を使って、そういう想像に答える。
「ぼくは、電話で3時間も話をできる人じゃないし、
かといってネット以外の直接は拒否する人間でもありません……
映画の中の話なんですよ、ほんとに」

「ただの普通の男です。
サイトをちょっといじることはできるけど、
コンピューターに熟達しているわけではない。
ぼくのことを完璧だと考えすぎないでください」

「ものを考える時間をきちんと確保している?
そんなふうに計画立ててやる人が本当にいますか?
いないでしょ、ぼくらが小学校のときは、
子どもは昼食後15分昼寝をするってことぐらいしか、
ルールはありませんでしたよ」

「哲学書を読むのが好きなのは……そんな大層なことじゃないです!
分析的な、人間性についての本を読むというだけです。
仕事柄独創性が多く要求されるから、仕事が終わったら吸収しなくては。
休日の暮らし方の一部分に過ぎません」

「自分の性格でどこが好きかって?
ありのまま、心のまま。苦心して何かを計画したことがない。
あってもなくても、どうでもいい。
どんなふうでも、それでいいじゃないですか」

――おっと、うっかり目の前のこの人のことを、彼自身が強調するような、
単純な人間だと、本当に思い込んでしまうところだった。
幸い、1分後に気がついた。
彼は金城武なのだ。
平凡であることもまた、珍しい伝説になるじゃないか。
(BAZAAR大陸版 2006年12月号)


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