武ニュースDiary


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2004年06月30日(水) Lovers製作ノートから「災難」� �「men’s uno」関連記事(台湾)

Lovers製作ノートから「災難」��   1:40

昨日の新京報の「Lovers」製作ノートから、
災難続きの製作現場の話、3つの災難。
もう知っている話がほとんどですが、今の段階でのまとめに。
しかし、長くて、武登場までたどりつけなかった……

「十面埋伏」製作ノート テーマ:災難

果てしなく、どこまでも続く満開の花の野が、
ずうっと前からチャン・イーモウの心の中にあった。
彼はそれをウクライナの地に咲かせたいと、
そしてスクリーンの上に咲かせたいと思った。
10数年前、西北の地に広大なコーリャン畑を出現させたように、
チャン・イーモウは自らウクライナを訪れて種を選び、交渉し、
栽培を監督し、その花のために奔走した。

1年後、想像の中では山野を埋め尽くして咲き誇っているはずの花は、
広大な荒地の草となってチャン・イーモウの眼前に現われたのだった……
そして、これは彼のウクライナでの「絶えざる災難」の始まりに
過ぎなかったのである――思いがけぬ大雪、金城武の落馬による負傷、
神様はいつも意地悪だった。チャン・イーモウの言葉で言うと、
「予想外だった、予想外なことばかりだった」ということになる。

2003年9月11日、「十面埋伏」はウクライナで正式にクランク・インをした。
奇しくも2002年の9月11日は、「英雄」のクランクアップの日であった。

第1の災難 心こめて植えた花が開かず

初めの脚本――無数の愛らしい花が花弁を開き、風に揺れ、
山にも谷にも満開だ。連綿として広がる、果てしない大海のように……


2002年10月、「英雄」の仕事が終わるとすぐ、チャン・イーモウは
仲間を連れてロケ地探しに東奔西走の日々を開始した。
その折、どの地でも、彼は花のことを言った。
なぜなら彼の心の中では、新しい物語は果てしない花の野でこそ
生まれるものだったからである。
彼の考え方は大変シンプルで、理想的な花が見つからなければ、
自分で植えるというものだ。だから彼はウクライナに来た。
1カ月後、チャン・イーモウは花の種をたずさえてウクライナに戻ってきた。

10数年前、チャン・イーモウは「紅いコーリャン」のために
西北の荒地を開墾してコーリャン畑を開いた。
今、彼は同じように、1本の映画のため、
異国の村に花の野を出現させようとしていた。
しかし、コーリャン畑のときの失敗の教訓があった。
「当時、農民が肥料をあぜに押し込むのを目撃したんだ。
誰もいなくなるのを待って、彼らは2畝分の肥料を家に持ち帰り、
オンドルにくべてしまったのさ」

そこで今回、彼は特に、ウクライナの晩秋に咲き誇る花の野が
コーリャンのときのような目にあわないか心配して、
2003年4月には、自分自身でウクライナを訪れ、
花の様子を見てこようと決めた。
あいにくなことに、SARSの突然の襲来がウクライナへの
すべての道をとざすことになった。

チャン・イーモウと製作主任の張震燕、カメラマンの小丁はマスクをかけ、
北京の空港から四川、浙江、雲南へと飛んでロケハンを行なったが、
チャン・イーモウの心の中では、あの花のことが何よりも気にかかっていた。
一方で、プロデューサーの1人、張偉平は1日中ビザの問題で忙殺されていた。
実に2003年の8月になって、ようやくビザが下りた。
この間、製作部はニュージーランド・ロケに変更することも考えたが、
チャン・イーモウはウクライナの花を待つ気持ちを変えなかった。

2003年9月5日、大部隊は首都空港を飛び立ち、ウクライナへと向かった。
飛行機を降りるとまず、チャン・イーモウは花を植えた場所に向かって急いだ。
脚本を読んでいた者は誰もが爛漫と咲く花を期待していた。
だが、現地を見て、みなすっかり失望してしまった。
まばらに生えた小さな花が、9ヘクタールの土地にひっそりとあったのだ。
チャン・イーモウはその前に、黙ったまま長いことたたずんでいた。
そしてあたりを長時間うろうろと歩き回った。
10万の種がもたらした心からの期待は、その瞬間、泡となって消えた。
ホテルに戻って彼は言った。「金が全部無駄に花になってしまった」

この期に及んで最も大事なことは、もちろん無駄に金を使うことではない。
まもなく9月11日にはクランク・インだ。
花の野は一体どうしたらいい? 
チャン・イーモウは脚本について語るとき、いつも好んでこう言っていた。
「死地においては、決死の覚悟あって初めて活路を見出しうる」
そのときの状況ではむしろ満開の花の方がよかった。
1つがしおれて落ち始め、完全なバランスが崩れることで初めて、
世界は再生を開始する……

果たして、撮影開始の2日前、チャン・イーモウは戻る途中の路上に
自然の花畑を見つけた。
面積は自分が植えたものの3倍を軽く越す。
花弁の小さな、白い野菊で、味わいがあり、自然だった。
この花は2週間しか持たないと聞き、チャン・イーモウは、
すぐにこの花で撮ると決断を下した。
しかし、クローズアップのときは、やはり色のある花が必要だ。
小さな花ではやはり、あでやかさが足りない。
そこで道具係が車に乗り、道々たくさんの農家を回って
鉢植えの花を集めていった。チャン・イーモウにとっては
「花は俳優だ。俳優がいなくて、どうして演技ができる?」
(続く)
(新京報 2004.6.28)




「men’s uno」関連記事  2:40

ものぐさでミステリアスな金城武、
髪を短く切り、新しい魅力を発揮


大スターの金城武は、ことさらあれこれしない人で、
「十面埋伏」の現場での彼とチャン・ツーイー、アンディ・ラウからも
そのやり方の違いがわかる。
チャンとラウの2人は、カットがかかると、もう1度やらせてほしいと頼んだり、
モニターを見たりする。もっと良いものにしたいと思うからだ。
金城武はこう言う。
「ぼくはあまりそういうことはしません。
監督がいいと思ってくれたら、それでいい」
ファンは、もしかしたら、こんなものぐさでミステリアスな彼をこそ
愛しているのかもしれない。

「men’s uno」最新号は、金城武のために東京まで飛んで
撮影とインタビューを行ない、
素顔の金城武の別の一面を見ることになった。
例えば、メイク前の短い髪がピンピン飛び跳ねた頭、
うっすらとまばらに生えたままのひげ、
着てきた私服はカーキ色のズボンと柔らかな革のカジュアルシューズ。
インタビュー前にはみんなと一緒に日本の弁当を食べる。
何でも食べ、選り好みはしない。

もともと人見知りの金城武は、スタイリストもヘアメイク師も
長年一緒に仕事をしている相手だ。
先ごろカンヌに同行して、香港のマスコミに�狄討靴ねЭ有瓩判颪�たてられ、
だが名前が間違っていたヘアメイクの古久保英人は
40歳、子どもが2人いる。
そして50〜60歳のスタイリストの北村は、
金城武とは父親でもあり友達でもあるような間柄だ。

金城武は古いつきあいを忘れない人間で、
台湾に帰るといつも、朱延平と会って食事をする。
世界各地を股にかける彼が1番好きなのは台湾だ。
ことに臭豆腐と牛肉面が大好きだが、
朱監督を誘うときは、必ず大御馳走になる。

チャン・イーモウと「十面埋伏」の仕事をして、
金城武は興奮、不安、手探りの状態から、
次第に楽しさを感じられるようになっていった。
彼は笑って言った。「次の映画ではもっとうまくできるといいな」
アンディ・ラウらは監督に再テイクを要求するが、
金城武は「ぼくは演技が毎回違ってしまうから」と言う。
ちょうどいい機会をとらえて、
自分の努力をちょっと自慢することをわきまえている俳優は大変多い。
「十面埋伏」には、アンディ・ラウと金城武が吹雪の中で戦う、
きついシーンがある。
撮影中、金城武に、そのときどんなことを考えていたか、たずねてみた。
金城武は、なんと笑って言ったのである。
「ただもう早く終わらないかなあと」
(聯合新聞網 2004.6,29)


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