2012年05月08日(火) |
ああ、そういえば私って、母親だった |
まあ落ち着いてきた。昨日よりは格段に落ち着いてきた。
さっき、新聞を取りに外に出たとき、外回りの雑草を取ってくれた夫のことを思い出した。
我慢強いのは家族のほうだった。
家族に対して、特に、息子に対してブチギレていた私のこと。 昨日の日記を読み返して「なにこれ、誰これ、子どもかっ!」てつくづく思った。
実家の親に聞いてもらったり、泣き騒いだり、そうして、自分の幼児性をこれでもかと発散することができたからこそ、 「そうだ、私は、これでも、ひとの親だったんだっけ」と我に返れたのかもしれない。
本来なら、泣いたり騒いだりして毒を発散して浄化するのは、子どもである娘や息子の役目、それを受け止め受け容れるのは、親である私の役目、
それなのに私が先にすっかりコドモ還りしすぎてエゴ全開しまくってたら、受け止め受け容れオトナにならざるをえないのは娘や息子の役になってしまう。 この逆転を、正しく元に戻したい。
私が不貞寝して枕を涙で濡らしている背中を、黙って見ているほかなかった子どもたちの気持ちを遡って慮りたい。
あの子らは、ある年齢に達してからは、私の前で泣いたり叫んだりしていない。 それをやっても大丈夫なんだという安心を与えられる親になりたい。
少しずつ。焦らず。大きなオトナになりたい。オトナ配合率を少しずつ高めたい。 そして、 子どもに、泣いて安心してグチをこぼしてもらえる親になりたい。 その前にまず自分の中のコドモ部分を宥めて、 「居るのはわかったよ。程々にしときなさい」と言っておく。多分、今なら、聞く耳をもっているだろう。
さて今日は、 あと一時間してもまだ息子が寝ていたらどうだろうか。いまは寝ている。 昨日の私のことをどう思っているのかはわからない。 信じてもいいだろうか。だけど、もしまたそれでも性懲りもなく寝過ごしていたとしても、 昨日の朝のような爆発は自重しようと思う。自重出来る気がする。出来る。出来るようになったと思う。頑張ろう、 自分で起きてこないという表面事象よりも、あの子の内面に思い至らせられますように。 またもし遅刻するとしても、それはあの子の問題であって、 遅刻しないように支援したという私の苦労が報われるとか報われないとかの私の満足の問題ではないのだ、という 重要なことを、忘れませんように。 そういうオトナ率を私が高めていられますように。
それでも私の中のコドモがもしやっぱり泣くのならば、 あの子が家を出てから帰ってくるまでの時間に、目を冷やしながら程々にしよう。 それに、何か美味しいお茶を入れて飲みながらにしよう。
(昨日、一食抜いたんだっけ。しっかり食べよう)
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