気が向けば・・・。


この今の瞬間に過去も未来も入ってるらしいし(何時でも)この小っさな頭蓋の内に宇宙も入ってるらしいし(誰でも)
だから、ひょっとしてこの矛盾に溢れた日記も、何時かの誰かに繋がったりするかも、って思ったから
少しだけ秘密度を緩めました。



子ども虐待防止「オレンジリボン運動」

2012年05月07日(月) またやっちゃった

ゆうべご飯のときに私がいきなり切れて食卓を離れてひきこもり泣きするという愚行のせいで
せっかく治ってた目の腫れがぶりかえし。

落ち着いたら追記する・
やっちゃったって感じ。
これでまた心身顔ともに人に不快な存在でしかない人に逆行。何やってんだろう。

少し気持ちが落ち着いたので、一昨日の日記も含めて追記している。

ゆうべは
晩ご飯を配膳して、頂きますをして、
家族で食事を始めたばかりのときに
テーブルに置いたドレッシング(私が気にいって買っておいたもの)を使わずに夫が冷蔵庫からマヨネーズを出してサラダにかけた。

いつもなら、ああ、そうかしょうがないよなあ、で済ませる私なのに
なんだか突っかかってみたい気分になって
なぜこのドレッシングがお気に召さないのかを問いただすという意地悪な行為に
私が走った。
今までの日々、このドレッシングに対してなんの文句も言わないでいた夫の
優しさを優しさと受け取れる余裕は私にはこに時点で全く無かった。
むしろ「なぜもっと前々から、これが嫌いだと言ってくれなかったの?何を我慢してんの?(我慢するなら徹底的に我慢して四の五の言わずにそれを好きになって食べなさいよ、の本意)」と責めた。

彼「嫌いだけど、そのうちやめて別な普通のドレッシングが出てくるだろうなと思ったから我慢してただけだよ」←穏やかに。
私「やめるわけないでしょ嫌いだとは知らないんだから。思いもしないんだから。第一、普通ってなによ普通のドレッシングって何よ普通ってなによ何が普通なの何なら好きなのよ」←粘着的に。
彼「いや、だからさ、普通の、食堂によくあるフレンチドレッシングとかさ」
へえー。食堂によくある、ね。そうだよね。この人は自分の馴染みの味以外は受け付けないからね。
そしたら彼は気まずいと思ったのか
今度は子どもたちにこのドレッシング(私には美味しいバルサミコ酢のドレッシング)の感想を訊いた。自分だけがスキキライ王じゃないんだぞってところでしょ。
娘「うーん、まあ、そんなに好きってわけじゃないかな」←悪気ない。
息子「僕もまあ、そんなに。シーザードレッシングのほうが好きかも」←悪気ない。

こんなことに突っかかる私が頭オカシイのは自分でよくよくわかってる。わかってるんだけども、
悲しくなってしまったんだよ。どうにも。

みんな私の好みを押し付けられてかわいそうだったね。
せいぜい、自分の好きなものを好きなように用意して食べればいいんだ。
でも食事を用意する人間の気持ちを知らないからそんな顔していられるんでしょ。
好き嫌いのないなんでも食べる妻でホントに申し訳ありませんね。
なんで貴方はそんなに嫌いな食べ物がたくさんあるの。なのになんで私と結婚なんかしてるの。好きじゃないのに一緒にいてくれるの。ばかなの。
そういいながら卓袱台をひっくり返せたらどんなにスッキリするだろうか。
でもウチの食卓は卓袱台じゃなくてテーブルだし
ひっくり返してもきっと後片付けは私の仕事だし
食材を買うお金は夫が頑張って稼いだんだから私の言い分のどこにも正当性はないし、で

席を立って、一口しか口をつけてないご飯とか味噌汁とかを放置して寝室に避難して暫く泣いて引きこもって(構ってちゃんのパフォーマンス)
多分、そのあとの三人の食卓の雰囲気は微妙だったろうけど知るかそんなの、と不貞腐れて静かに号泣していた。馬鹿としかいいようがない。
それで食事の済んだ娘や息子が心配して呼びに来て
あとですっかり冷めてしまったご飯をむりやり喉に流し込みながら
隣で流れるTVの音にイライラしながらわけのわからない不機嫌をまといながら
ぼそぼそと独りで食事を片付ける妻を、誰が一体、素敵だなんて思いますか。
私なら、こんな奥さん、いらないな。
うん、間違いない。要らない。


で、今朝、またやっちゃった。娘と夫を順に送り出したあと、なかなかなかなかなかなかなかなか起きてこない息子を相手に、
泣き叫んでしまった。もうだめだ。
私が声をかけなかったら一生寝てる勢いじゃないのよ。
二限に間に合わそうっていう気配が微塵も見られないじゃない。
一年生の時に遅刻欠席が多すぎて単位を落としまくったからいまこんなに大変になっているのにそれをどう考えているのか、
どうしてどうして何年も何年も、
朝、時間通りに起きて授業に間に合うというただそれだけの自己管理を
母親の私に依存したままでいられるんだろう。
はあ、私の育て方が悪いということですか。
完全に本当にこれは八つ当たりだった、今考えてみたら。

で、自分を落ち着かせるために実家の母に電話して巻き込むという、年甲斐もない愚行。

だけど心のどこかで、母は私のそういうばかなところも受けとめてくれるっていう甘えというか安心があるからこういうことができる。
そもそももう逆に母のほうが私に泣き言をいってしかるべきだ。もっと大変なんだから。

親不孝でごめんね。

でも自分の如何に幸せかは自覚はしている。

「幸せを感じる心をとりもどさないと幸せにはなれないし、逆に、幸せを感じる心さえあれば幸せになれる」を踏まえて。
みんなはしっかり建設的に創造的に利己と利他を調和させて生きているってのに、イイ歳した私がこんな甘えた怠惰な人なせいで、ホントに申し訳ないとしか。
家庭内においての私の気持ちのビョーキぶりは、一昨日までは子どもの前に出さないでいられたが、この一両日でその堤防は決壊し、
ちょっとのことで泣くわ喚くわ、もうハタ迷惑な存在過ぎて消えたい。消えると迷惑かけるから消えないけど。

虚しさの大元は自分の中から来ているし、それを家族に解られてしまったら、家族をどんなにか傷つけるだろうかと思うと、
解られたいけど解られたくない。解らせてはならない。絶対に。そこだけは理性を保って死守せよ>私。

この虚しさは夫のせいではなく、
わずかな不満を見つけてはとらわれてしまって、夫に感謝できない構造になっている自分のせいであり、夫に心を尽くしたくてもうまく尽くせない自分のせいであり
この虚しさは子どものせいではなく、
子どもへの思いが収拾つかないほど膨らみすぎて何かを見失っている自分のせいであり
この虚しさを根本治療する方法は、今世では見つからないっぽいけど
対症療法としては例によってまた、心を休めて感受性が回復するのを待つしかないだろう。ワンパターン過ぎて笑える。


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