気が向けば・・・。


この今の瞬間に過去も未来も入ってるらしいし(何時でも)この小っさな頭蓋の内に宇宙も入ってるらしいし(誰でも)
だから、ひょっとしてこの矛盾に溢れた日記も、何時かの誰かに繋がったりするかも、って思ったから
少しだけ秘密度を緩めました。



子ども虐待防止「オレンジリボン運動」

2012年04月23日(月) デトックス的なネガティブの記録(毒出し。前を向くための)(長文)(スルー推奨)

娘は私に「舟を編む」という本を薦めてくれて、少しずつ読んでいる。面白い。
息子は授業やサークルで得たトリビアを家族に笑顔で報告してくれる。嬉しい。
そんなふうに
いまここにある幸せに目を向けていこうと思う。少しずつ。
※お昼ご飯の前に、↓これを書いた。そしたら少しらくになった。

(大切な人も時々は見てくれている日記なので、書いておくと、以下は刻々と過去の記録になっていっています。時間が経てばたつほどに、きっと、大丈夫になっています。だから心配しないでくださいね)

PTA役員時代も遠くなり、
受験生が家に居た緊張の三年間も終わり、
気がかりだった義母や祖母のことも今は少し落ち着いているみたいだし(ヘルパーさんや母や叔母や従兄弟のお蔭だけれど)
本来ならば、ここらへんで何かスキルアップだとか仕事だとか始める好機だろうとは思うけども
なんだろうね、
延ばし延ばしにしてきたこと全てがもうホントにどうでも良くなっていて
というか、いま、
何もかもに興味が持てなくやる気も全くといっていいほど枯渇していて

(中略。きれいでいようという気持ちが湧いてこない。)

ただ辛うじて、家族の健康を害しないように毎日の食事の用意と洗濯くらいをやっと継続できてはいるし
家族が遅刻しないように段取り、帰宅後に子らの表情を確認し、おしゃべりを聴くのは喜びではあるのだけれど
要するに子どもの頬に出現する笑窪だけ見ていれば嬉しいのでもうそれでよく


(中略。細々と書いたけど、あまりにあんまりあれだから消します。ひとことでまとめると、感謝しなければならない人に対しての感謝の念が湧いてこない病気になっちゃってるらしい私は。本来、私のほうが助けなきゃいけないのに助けられているのもまずいなあと、親不孝を自覚しつつも、どうにも前向きになれないのは、やはりちょっと心が疲れているっぽい。)



色々と突き詰めると、これから私がすべきことと、これから私が本当にやりたいことが、ほとんど一致しない。
僅かに一致するのは、布団の中にいて静かに音楽を聴いているか、モニターの前にいて、観たいコンテンツを観て、私が成し得なかった素敵な物語を噛み締めて楽しむことぐらい。
子どもが喜ぶことをもしてあげたい。心地よい時間を過ごさせたい。だけど、将来のコース指定まではする自信もないししたくもないしできない。
こういう道を選べば幸せになるよ、なんていう答えも知らないし、教える資格もないから。

(なくはない。でもそんな気分だったので。)

そんなあれこれを頭の中でぐるぐると考えていると、もう、日常の家事に勤しむ(ことが有意義なのはわかっているのに)気持ちがなくなってくる。
素敵でいたいという気持ちが湧いてこない。素敵なものをこっちは見るだけでいいのであって私が素敵でいる努力をしたいと思えない。

ただ、休めたい。人間て素晴らしいなあと気づくことが可能になるための感知装置を、休めることで復旧する作業。ぬるま湯に漬けて戻したい。その時間のために何か色々と犠牲になりそうだけどもう構っていられない。
ここをいつか抜ければ、この経験は、たぶん、多分だけど、家族が同じような心的状態になったときに、共感するのに役立つと思う。
ここをいつか抜ければ、自分がこれまで心の中で軽蔑してきたあらゆるものを、自分も同じじゃんと言いながら受け入れたうえで、それでもなお、やっぱり生きているのは面白いって、捨てたもんじゃないねって、笑えると思う。
必要最低限のことだけを今はしていたい。無理に拡げない。

・・・・この日記を後日、読んだ時に、「ああ、こんな日々もあったのね」と懐かしく思い出すことを自分に期待しています。
まずは、ずっとPCの前にいるので、何かきちんと栄養のあるものを、食べます。
目から水分も随分と排出したので、目を冷やし、温かい汁物も、作って食べます。
食べて自分を養うことに興味を失っていないうちは、まあ、多分、大丈夫。

(もう相当大丈夫になってきている)




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