| 2011年09月12日(月) |
(ただの女子会ではない)ランチ。のお蔭で私の乾麺のような親心もアルデンテにまで緩められた気がする |
久しぶりのメンバーが集まった。その一人は5か月前に生まれた可愛い赤ちゃんも連れてきてくれてて。 その可愛さ、ただものではない。 (ああ、孫欲しい。)
というか、みんなある意味、ただものではない。 どういう訳だか何だかもう本当に不思議な縁だと思う。 別に芸人集団でもないのにおしゃべりが面白くて時間を忘れてしまうんだよね・・・。 そうかといってすごい笑えるネタがどうっていうことじゃない、なんだろうこの安心感。 私なんかが仲間に加えてもらえているのだけれど みんな「できる」のに、癒されてしまうんだよね・・・。
どうしてかなあといつも思う。そのたび、やっぱり はっきりと確信するのは、「信じられる」ということなのかな。 「信じる」がデフォルトで言わずもがなな感じという、か。 思いあう。でも誰かが我慢しているとかではない。と安心して感じられる。
うち一人は、ご家族の海外転勤でしばらく会えないのだけれど きっとどんなにご無沙汰しても、また逢えたら時間凍結を解いたみたいに まるで先週会いましたみたいに会えそうだ。 きちんとした大人の所作とわきまえがあるのに茶目っ気もある彼女とまた会うのが楽しみ。
彼女もほかのみんなも家族愛と自分の世界をちゃんと持っていて (その折り合いは一朝一夕についたものではないのだと察するけれど) いろんな苦労があるのに違いないのに、ベースが明るい。こうじゃなきゃいけないという決めつけもない。
誠実さが空気みたいにあることに、一瞬、ありがたみを忘れそうになったけど よく考えたらみんなひとりひとりが 毎日、何かしらそれぞれの仕事や家事や育児など、それぞれ形は違えど 絶妙のバランスで時間と体力と気持ちをやりくりしている中で、 貴重な何かをを提供しあっててくれているんだと思うと うん。どうもありがとう。
実はランチに行く前、息子と小(コ)二時間ほど話していて というか説教?のようなことだけど 前期成績が予想を遥かにあさっての斜め下を下回っていたらしいことの衝撃を背景に また、その他、いろいろやらかしてくれた彼のこの半年のこと、も含めて 学生の立場がどれほど得難く貴重だか、とか、今までの自分自身の努力や周囲の応援に対する礼儀とは、とか、そもそも生きるにあたりの基本姿勢の、とか ちょいと涙ぐむくらいに、もう大きい(はずの)子と、こってりと偉そうに語り合いつつ 内心「どうなるんだろうね。なにがしたいんだろうね彼は。そして私の育て方はどうなのよ」と人生の侘び寂びを感じていたものだったけれど、
この自由が丘の語らいがあまりにも心を解きほぐすものだったので (だってやっぱり人は・特に、女は、生身の人間との関わりの中で、その中で何を幸せと感じていくのか、そこには融通無碍な視点を持っていなきゃ。と、たくさん教えられたので)
そのあとバイトもしてから帰宅したときに息子がちょいと真面目に何かやってるのを見て そういえば先日、私と娘と息子が3時間だけ3人でカラオケに行ったとき この子たちのお蔭で楽しかったし。など思い出して
そうだ!別にあんなの大したことじゃないじゃん。こうして元気で悪気なく生きているっていうのは有難いじゃん。
と、極々当然の流れとしてそう感じられたんだから。
(あ、そうだ。兄妹で性格というか個性が違うのは、親に修行させてくれるその修行のバリエを増やしてくれてるんだっていうことを友達もいってて、なるほどと膝を打つ思いだったっけ)
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