| 2011年08月16日(火) |
ささやかな悲しみとささやかな幸せ |
いま、まだ子どもたちは起きてこない。 夫は会社にでかけた。
☆昨日、ネットで、 いまだに、国産のものは食べないだとか、福島産はだめだとか、もう子どもは産めないだとか そんな声をみて残念だった。
放射線を扱う生物学の専門家の人々が(御用学者とかじゃないことは観ていてわかる)そんなことはないよと言ってくれていても、 それさえ敵とみなされ、かき消され、見向きもされない。
ほんの微塵でさえも放射性物質を取り込んだら溜まり続けて癌になるとまで思わせているのは ある意味、亡国かつ私利私欲の売らんかな目的の、某誰と某誰のでかい声が もうすっかりみんなをそんな気分にさせてしまっているせいだとしか 思えない。
だから、自分たちの過剰な不安の、元情報の出所を怪しむどころか、 まっとうな科学者(でも、安全デマ呼ばわりされていて、売れない)のいうことが信じられないし、敵視すらしている。
そんなふうに、放射性物質だけに視野を狭めた過剰な不安を拡大拡散している人々は 善意からなのに、結果、元情報の出所の謀略に手を貸し、却って被災地の人々をさらに痛めつけ、風評被害は広がり、
そんな世論に危機を感じて異を唱える人も、嘘吐き呼ばわりされ、
もうそんな図をみていたくないのに、目に入ってしまったんだ。
☆そのなかで、そのことにだけとらわれていると 私は無力感に襲われてしまう。絶望すら覚える。
だけど視野をふと余所にずらしてみると 世の中で、孤独じゃないはずの中で、孤独を感じている人はたくさんいて その孤独の中でも孤独に負けることなく、ひときわ、はっとさせる言葉を発する人を見つけると そのたびに、 人の頭と心って、なかなか、やるじゃん、人生捨てたもんじゃないじゃん、 って思える。
☆夕べから今朝にかけて、娘は咳もせず、うなされもせず、熟睡したのは10日ぶりだった。 途中で私に背中をさすられることも何も手をかけさせずに寝たのが10日ぶり。
とんでもなく有難いと思った。
熱は36度台で安定し、喉の痛みもひいた。 もちろん、結構長かった風邪の予後は無理をさせられないけど。 昨日は、ずっと休んでいた宿題にも手を付け始めたり、一緒にドラマを観てあれこれ喋りあったりできた。 それがとっても幸せ。
☆息子は明日、関西日帰り旅行を計画している。大学でできた友達と合流するらしい。 そんな、ごくありふれた普通のことを楽しめる子に育ってくれていて それがとっても幸せ。
☆夫が、何を思ったか、私におこづかいをくれた。 私がしている主婦のしごとなんて大したこともないのに、 そんな形でくれた感謝を素直にありがたいと思う。
☆こんなふうに思えるのは あまりにたくさんの人々・・・知ってる人、知らない人、日本の人、外国の人、血の繋がってる人、繋がってない人、好きな人、キライな人、 多くの人が織りなしてきた歴史のおかげ。 それを思うと、こわいくらいに、死ぬほど、今日も、まともに、ありがたく、生きていたい。
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