| 2011年06月11日(土) |
各々の移り変わる想いは、どこへ向かう?結婚22周年や思想変遷や反原発や |
昨日から結婚23年目に入り、でも記念日は大した盛り上がりもみせず しかし平穏無事に過ごせている毎日に淡々と感謝してお茶を飲んだ。
思えば、結婚当初は、夫やその親の存在が、ストレスっていうか、なんというか。 私は今よりももっとコドモだったし、 そもそも結婚に踏み切ったのも親族のプレッシャーから逃れるという不純な動機からだったし、 考えることといえばいつも夫との文化の違いに苛つき、 「婚家」と「実家方面」との文化の違いにも捉われ拘り疲れて この先、どんな離婚劇が待っているのだろうかと新婚旅行中から夢見て?いた。 自分の要求を如何に通すかばかり考えてて 彼を幸せにする努力、に思いが至らなかった。 だから私は多分、一皮むけば、日本屈指の悪妻だったと思う。 (そうじゃない振りはしていたつもりだけど)
長年経るうち、夫の良さが分かってきた。 それは私の好きなタイプの良さとは違うけど、でも、「良さ」なんだ。 私も(たぶん彼も)少しは変わったと思う。 たしかに、互いが互いの教師になっていったんじゃないかな。 心のうちまですっかり分かり合えることはなくても、それは最終目標じゃなくて 分かり合えないままでも別にいいんだ、気持ちのどっかで互いを認めてればいいんだ、 全部をまるっと好きになんなくたって恩を感じて、心の中で「かたじけないね」って挨拶して もっと別の道がほら、ここにあった。って なんとなく思えた。
私の46年と夫の51年はそれぞれ違うんだから。誰かの数十年と誰かの数十年はそれぞれなんだから尚のこと。
しかも 私ひとりの頭をよぎる考え方だって、46年のうちに紆余曲折諸行無常、流転しまくることこのうえなかったし。
あんなに男になりたかったのに今じゃ女以外に生まれ変わりたくないんだもの。 あんなにサヨクだったのに今じゃ反日教育を危惧したりしてるんだもの。 あんなに某政党を応援したりしてたのに今じゃ180度も。
※今、もやもやしてる「反原発」のありかたについて とりあえず自分の不勉強はものすごく棚に上げて言うと、 原発つまり核物質を使ったエネルギー、が、私はやっぱりキライだ。 どのくらいキライかというと、こーーーんなにキライ。 だっておかしいもの。維持するだけでも害のほうが大きいもの。 トイレなきマンションとか以上の犠牲が常に付きまとう。 いまのままの人間には御せるもんじゃない土台ムリ。 将来はそれが終わってほしい。すんなり終わってほしい。 だからこそ、だからこそなんだけど、
「反原発」がキチンと品行方正でいてほしいんだ。 突っ込みポイント満載な運動はやめてほしいんだ。 原発利権はいやなんだけど 日本を弱体化させちゃうよな「反原発利権」ともキッパリと縁を切っててほしいんだ。 実現可能なものであってほしいんだ。 多くの良心的な日本の生産者が犠牲にならない道であってほしいんだ。 やたらに恐怖を煽ったりせずにリスク評価はバランス感覚を保って おかしなヤツと思われないように市民権を得てほしいんだ。 好きな人がなるべく多くの人に受け入れられるステキな人であってほしいと願う気持ちなんだ。 私はそれを感じていたんだ。きっとそうだ。それが、先程、わかった。
もしかしたらこんな、これに限らず 人間関係においての異文化コミュニケーションとやらの その時々の、各種のもやもやは、天が用意したオプション授業の一環なんだろうか。 用意したのは天なんだろうか、生まれる前の自分が登録しといた講義なんだろうか。 あんまり楽勝科目でもなさそうなんだけどね。受講できるだけありがたく思えたら、いいな。
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