2011年03月29日(火)
日記一時移転→また戻りました / 家族旅行の記録
追記 ※エンピツ管理人さんによるお知らせ↓http://www.enpitu.ne.jp/usr/bin/day?id=1&pg=20110329 というわけで、またPCからの書き込みが可能となったので 引き続きこのエンピツ日記帳を使います。 29日の日記を改めて後日記す。 ↓ シンガポールのフリーツアーに家族で行った記録。 旅行会社からの案内は、結構あっさりした説明だったので、 22年前の新婚旅行の記憶しかない私&日本から出たことのない子どもたちは。 入国審査とか両替とかの細かいところは ついこないだベトナム出張に行った夫に倣って、とにかくついて行く。 彼は事前にPC等で主な観光名所の場所と最寄駅を調べて 効率よく回るための表などをこしらえてくれてて大変助かった。 23日夜と27日朝は機内泊なので、現地では実質2泊3日だったけど、 同じホテル(パークロイヤル・オン・キッチナーロード←結構キレイ)に居られた。 ホテルにほど近い巨大なスーパーマーケット、非常識なほどの品揃え、ムスタファセンター。の両替コーナーのレートが有利らしい。 くっじゅーexchange this ジャパニーズ イエン to シンガポールドル、プリーズ。とか子どもたちもなんとか言えた。 ホテル室内のテレビで中国語のドラマなんかもあって面白そうだったけど 主に、NHK WORLD をチェック。 届けられる新聞にも、north-east Japan の tunami-struck towns の様子、tokyo の punic buying of bottled water などが記事になっていた。 シンガポールからも救援物資が送られたという。 日本の状況がこれ以上ひどくなっていないことを祈りつつ 時々、携帯(海外対応のを出発直前に一台買った)のネットニュースでも確認しようとするけど やっぱり電波が遠い気がする。「高額になりますが大丈夫?」のアラートが出るので一日一回だけ見ることにしつつ、 外国に来ちゃったんだなーと思った。 東北道などが規制解除になって、だいぶ物資が流れるようになったみたいで、それは良かったけど 原発は安心できない状況なんだね。 そもそも私を含む多くの人は、日頃、原発に関して安心しすぎてたと思う。 そして、安心しすぎて、電気を使い過ぎていたと思う。 知れば知るほど原子力エネルギーには、問題点が。 家族旅行の記録に戻ると。 ビュッフェ式朝食以外には食事は付けてなかったので、夜遅くにホテルに帰る生活。 オプションの半日観光を二つ入れても、自由時間が多かったので、 あまり時間に追われずに、主な町は一通り観られた。 地下鉄網も発達していて、30分もあればどこにでも行けてしまう。 広さでいえば東京23区程度しかない国土(=首都そのもの)は、 地盤がしっかりしてて台風も地震も来ないものだから 商業ビルも住宅(たいてい、団地)も、どれも高層で、かつ斬新でカラフルな外観のものが多い。 風水を考えた凝ったデザインのものもある。 ずいぶん思い切ったね、という色と形は、玩具めいたものもある。 漁村として栄えていたこの土地に降り立ち、都市計画を行って今の大都市にした立役者:東インド会社のラッフルズ卿の名は、覚えておくべきらしい。 政治の仕組みも言語もイギリス式だけれど、マレー語やインドの言語、中国語、日本語が多く併記してある。 日本が占領していた時代もあり、また貿易都市として多くのインドや中国からの移民が労働者として住み、 アジアと西欧の多様な文化がサラダボウルのように共存している。 なので、 ホテルのあったリトルインディアをはじめ、シティマリーナ、チャイナタウン、オーチャードロード、自然保護区のナイトサファリ、セントーサ島のビーチなど それぞれ個性的なエリアをめぐった。 サリーを身にまとった人を多く見かけた。 街で飛び交う会話に混じる中国語率が高い。 評判通りに街がきれい。 治安は良いらしいが、夫と息子が一度だけ、大捕り物を目撃してヒヤヒヤした。(多分、ひったくり) リトルインディアの雑貨屋で日除け用の帽子をかったり、団扇を買ったり。お店の人はフレンドリー。 とにかく赤道近くのその地で、日が昇ればすぐに25度。 なのに建物内は必要以上に冷房が効いていて 私達の体の体温調節機能はフルに働かされた。 娘はギャラリーや雑貨屋さんが好きだけど 息子は歴史博物館が特に気に入っていた。 国立博物館では日本軍のことなども展示されていて、観ていて複雑な気分ではあったが やはり過去のできごとは素敵なことばかりではない。 息子が各コーナーをじっくりじっくり見過ぎて閉館時間に。 でも日没が遅いし、そして夜になっても、暑い。 チャイナタウン内のヘリテージセンターの展示は、かなりラフな感じに昔の生活道具なんかがディスプレイされてたのが 少し怖い雰囲気も醸していた。 赤い提灯が飾られたお土産やさんが並ぶ。欧米の名前を漢字表記したキーホルダーが人気商品らしい。漢字って、カッコイイからね。 オプションのツアーで、ヒンドゥ教のスリマリアマン寺院を見学。とにかく派手な極彩色。 佛牙寺は、仏像たちの金色が美しい。 エキゾティックなモスクも見えるアラブストリートなどを、自転車のタクシー(トライショー)に乗って回った際、 運転手のおじちゃん(いや、おじいちゃん)が サービス精神からか、車内ステレオで演歌を流してくれてて それがあまりにも大音響を発して、道行く人々が皆振り返って観ていた。 もう笑うしかなく、こちらもせっかくだから応えて その「昴」や「北国の春」や「長崎は今日も雨だった」を一緒に歌いながら乗っていた。 で、娘に恥ずかしがられた。 そのオプションツアーの現地ガイドさん(充分に判別できる日本語をしゃべる)からツアー予定を聞いた時は あの有名なラッフルズホテルのハイティー(ちょっと高級な午後のお茶とお菓子)で カヤジャム(ココナツや蜂蜜や卵の入った、キャラメルっぽい味のペースト)のトーストをいただける、と思ったけど、 実際は、お茶&カヤトーストはホテルの前のコーヒーショップで食べ、 ラッフルズホテルにはお買いものに立ち寄るだけだった。 門番の男性(ターバン姿)と一緒に写真におさまったり。 世界三大ガッカリと言われるマーライオンは、そんなガッカリでもなかったが、ちょうどこういう状態だった。(マーライオンホテル 日本人芸術家が手掛けたそうだ)↓http://singapore.keizai.biz/headline/5101/ その代わりに、近くにちっちゃくて可愛い、ちびマーライオンが居た。 食べ物で、他に美味しかったものは、ホテル近くのレストラン「ヒルマン」でのペーパーチキン(鶏の包み揚げ)。 それにこの地独特のチキンライスや、鶏粥も。 シティホール駅内のショッピングセンターにあった日本食レストランでは 鍋焼き鶏ご飯が良かった。 つまり鶏肉料理ならどの宗教の人も食べられるから。 ケンタッキーフライドチキンもたくさんあった。 予想外な食べ物。 フードコートで、ボボチャチャというデザート?を、名前と写真だけで注文したら 冷たいものを想像してたら熱いココナツミルクスープで 中にお芋が浮いていて、まあ、いけたけど、 汗が噴き出まくっていた。 夫も、お勧めと言われた何かの中華風の赤いスープ(名前不明)が、無茶苦茶に辛くて無理だった。 で、 とにかくお店で出される全ての品は 想像しているよりもはるかに量が多い。 料理も、飲み物も。 注文時は、「これじゃ足りないかな」というぐらいでちょうどいい。 そして市場には意外と日本のお煎餅や干し椎茸なんかも売っていた。 缶入りの緑茶も売っていた。日本の飲料メーカーのだから、味も同じかと思えば、砂糖が入ってて甘かった。 移動は地下鉄が便利だったけど、ナイトサファリだけはちょっと遠いのでタクシー利用。 明朗会計で問題はないけど、少し運転が荒いというか、せっかち。ちょっとだけ酔った。 サファリに到着して椅子で休んでる間に、夫がチケット売り場を見たら まだ開いてないっていう。それはおかしい。もう日没だし。 で、結局、隣接している昼間の動物園の入り口をそれだと思って勘違いして待っていたことが判明。 何でも、思い込まずに訊いてみることが大事だと思わされた。 暗いコースの中で時折見かける、小さなマメジカやフラミンゴを、 フラッシュ撮影禁止なのでふつうに携帯で撮ろうとしたけど やっぱりうまく写らなかった。 日本語トラムを予約して、その車内から見られたのは、インドサイとか、ナマケグマや、水牛など、結構大きな動物、 これもなかなか良かった。 動物のショーも楽しかった。 アライグマが空き缶をリサイクルする芸など、笑わせ加減もよく仕込まれている。 ただ、私に英語のリスニング能力がもっとあったなら、司会者のトークをもっと楽しめただろう。 最終日に、ホテルをチェックアウトしてから荷物だけ預けて セントーサ島のリゾートに足を伸ばした。 そのエリアではモノレール一日乗車券で乗り降り自由。 そこにあのマーライオンを巨大化した、マーライオンタワー(展望台)があった。 その頭のてっぺんからの眺めが良い。 インビアンでは、3D眼鏡をかけてのアトラクションが、程よいスリルで面白かった。 ビーチは思いっきりきれいな海水浴場で、本当に普通に夏の砂浜。 空港への送迎バスに戻る前に寄った大きな書店では 日本のコミックスの翻訳版が大量にあって夢中になる。 「らんま1/2」や「NARUTO」、「キャプテン翼」や、「ハチミツとクローバー」「NANA」など、他にも品揃え豊富に。 娘は「特攻サヤカ」の中国語版を、私と息子用には「DEATH NOTE」の中国語版を、お土産にした。 今回、家族はそれぞれ、旅行スケジュールに関して、お互いに好みを主張し過ぎず、 いい感じに妥協できるようになっていた。 子どもが小さい時代にここに来ていたら、そうはいかなかっただろう。 成長したのだろう。子どもだけでなく、私達夫婦も。 羽田に早朝に帰ってきて、多分そうだろうとは思ったけども、その寒さに驚いた。 そして節電のために一部しか動いていない自動改札。 コンビニの、水やパンやカップ麺の棚のガラガラ具合は相変わらずで。 被災地のために買いだめをしない、とは言っても 心の隅に、 「もしも東北のが引き金になって地殻変動で東海地震や火山噴火にまでなったら?こっちも、イザの場合に備えておかなきゃ?」 とか 「原発がまた更にとんでもないことになったら?しばらく外出できなくなったら?」っていう、 なんとなく〜相当の危機感が、ぬぐい去れない。 関東のこの消費行動は。そこに起因しているんだと思う。 でもあえて、ウチは頑張って買いだめしないぞ。 被災家族をホームステイさせてあげる部屋はないけどせめて、 スーパーにも午後ゆっくり行ってその時間に買えるものだけで生きるぞ。と心に誓いつつも、 明日の朝のパンが足りなくなりそうとか、(カステラなら、あったな。) 当分、牛乳がめったに飲めないこととか考えると、 まあ、憂鬱じゃないといったらウソに。 けど、この機会に和食中心に生きよう。 味噌汁とか納豆の朝食を。あ、でも大豆製品も品薄なんだったね。味噌は売ってたけど納豆完売。 4日間火の気のなかった自宅内は冷蔵庫のように寒く、 急いで各部屋の暖房をONにしながら、申し訳ない気がした。 ああ、またつましく暮らそう。 その前に、大量の洗濯物! で、その午後から翌日にかけて洗濯機を6回は回し 一部、乾燥機を多用し、って、節電になっていない。 これまた申し訳ない。 そのあとは。 睡眠不足を補うため寝たりして。体内時計は依然、一時間以上は、ずれたまま。 ※追記 日付変わって29日記す。 昨日からは、 息子は高校時代の親友と逢い(あの震災の11日の翌日に予定していたのが延期になったのだ)、 今日はこないだ卒業したクラスのお茶会へ。(もう早?) 娘のほうも、延びてた友達付き合いの誘いが、ぼちぼち、はいって来た。 夫の長めの休暇も、今日で、おしまい。 彼は昨日、ダイエーで旅行写真用のちょっと立派なアルバムを買って、撮った写真やチケットを貼って、ちょっとしたメモリアルダイアリー的なものを作っていた。 振り返れば、あと一体何回、ああいう家族そろっての旅行ができるか考えると、いま一緒にいる時間を大事にしたい。 ときに感覚のずれやイラつきはお互いにあるっちゃあるのだけれど。たぶん、 振り返れば、かけがえのないものなんだろうな。と思う。 あ、日記の一時引っ越しで、また体内時計が大幅にずれる。