気が向けば・・・。


この今の瞬間に過去も未来も入ってるらしいし(何時でも)この小っさな頭蓋の内に宇宙も入ってるらしいし(誰でも)
だから、ひょっとしてこの矛盾に溢れた日記も、何時かの誰かに繋がったりするかも、って思ったから
少しだけ秘密度を緩めました。



子ども虐待防止「オレンジリボン運動」

2010年12月09日(木) 私の中学時代との比較 / 人生のセンセイ逆指名 / 筆ぐるめ難しかった

※昨夜から早朝にかけてまとめてPC雑務・この文もチョコチョコと書きためてて繋がりおかしいかも。

娘のクラスにおける合唱コンクールの曲は
合唱コンクール委員さんが取りまとめたアンケート&多数決によって、
数年前に流行った例のイマドキの曲に、やっと決定したそうだ。
私としては、せっかく30名の混声合唱の機会なんだから
「筑後川」の「河口」だとか「土の歌」の「祖国の土」だとかのダイナミックな曲を歌う機会が
娘に訪れればいいがなあ、と願っていたけど無理だったね。

それにしても、○○委員っていうのがやたら多い学校だな。
生徒会年報の委員やスポフェス実行委員や文化祭の実行委員とかは、まあフツーだけど
鎌倉研修委員だとか合唱コン委員だとか
細かい行事にいちいち生徒による委員会が立ちあがって主導するのって
まあ、確かに自治精神は養われるだろうなー。
かなり女の子がリードしてるらしいが。

「ウチのクラスの男子ってさ、
なんだかマイペースっていうか勝手気ままに二次元(漫画やアニメのこと)やゲームやアイドルのことばっかり喋ってて、
ホント、使えない子が多いんだよお」って娘は嘆くけども
それは中学1〜2年までは大抵はそうだよお。
女子のほうがオトナな年頃なんだから大目に見なさいって。

じゃあ女子は如何?中学生だとグループに固まって縛り合ったりしがちだけども?
「いやー、私たち、そんなことゼンゼンないよ。
そりゃ仲良しグループもあるけど、出入り自由。ゆるい。
誰が誰と遊ぼうが別にいい、あるときはあの子と、またこの話題の時はあの子と、って感じで。
意見も別にグループに合わせなきゃってこともないし
トイレ行くにも教室移動するにもいつも決まった誰かと一緒じゃなきゃってことは、無い無い。
一緒にお弁当食べる子も、ときどきローテーションしようってなんとなく、
『最近、グループがキツくない?シャッフルしてみよっか』って自分たちからオープンにしようとするし。排他的になったり誰かが孤立したりイジメが出たりしたら、イヤだって、みんな思ってるからね。」

いいなあ。羨ましい。
というか実にそういう風通しと民度の高い生徒集団を理想としてて、娘にそんな中で過ごしてほしいと思ってた。だって、

私の中学時代(特に板橋区立中学一年生の後半)はその真逆だったから。

でも、ふと思う。あれも良かったのかもしれない、って。
理不尽な、未熟な、割り切れないナマのエゴのぶつかり合いというか反面教師が、周りにいっぱいいたあの環境で
こんなことされたらカナシイよなあ、とか、
あんな目に遭いたくないよ、もう二度と、とか、の
経験がリアルにできたからこそ、その思いも後々の何かに役に立ったのかも。

中学時代だけじゃなく、
その後も結構いろんな「どうにも理不尽な思い」を対人関係から味わう機会に遭遇した。というか、恵まれた。
それは全部、自分の中で何かに活きている。というか、活かさなきゃ悔しいだろうと思う。
哀しい経験を活かすためには、その哀しい時に潰れちゃだめだ。自分を潰しちゃだめ。
哀しい経験を活かすためには、活かすシステムが脳と心になくちゃだめ。

環境を親が選んで用意してあげることなんて、限界がある。
いずれもっとどうにもやりきれない目に遭うことは防ぎ切れない。
だから、それを反面教師として活かすシステムを脳と心に自分で作れるように誘導してあげられたら、と思うけども。
具体的には、んー、どうしたらいいんだろうか。

自己肯定感・・・これを授けるのはまず必須だろう。いつも親だけは無条件に愛してくれてるっていう安心。だけど、
ただ「アンタはそのままで充分いい、人と違ってても全くおっけー」と伝えるだけじゃあ、片手落ちな気もする。
ヘタすると、根拠なく自分は正しいんだという妙な自信をつけてしまう。
他人から学ぶ謙虚さと、自分を客観視できること、ある程度は向上心も必要だろうし。

諦めない根性・・・これこそ自分を信じられなきゃどうにも湧いてこないもの。我慢する力。
我慢してみたらこんなにイイコトがあった!と思った経験の積み重ね?
そのためには、ある程度、欲望っていうか野望ってものが
やっぱり必要かな。あたしはこうしたい、こうなりたい、なってやる!やってやる!みたいな。
今の私みたいにすんごく無欲(無気力と危うい紙一重)だとまずいよね。

世の中の事象を俯瞰で見て、どれも全ては大したことないじゃんって思う力・・・これ絶対要る。
人なんて体調や状況や捉え方次第で、ワルイ方にも良い方にも変わるもの。長い目広い目で見ればこんなこと、こだわるほうがつまらない。って一歩離れて見られれば
どんな極限な時でも、自分からビルの屋上に登って飛び降りたりなんてしなくて済む。
何もかもをも絶対視はしない。
そういう意味で、仏教テイストを生活に取り入れてくれてた実家に私は感謝してる。

だから、思う。
生まれてから出会う人全て、親だけじゃなくて全部の出会う人間が、(好きな人も嫌いな人も)
いろんなパターンの感情を喚起して栄養にさせてくれる、センセイ達だった。
先生だったしこれからも先生だ、と認識できる脳と心のシステム。これが財産になるんだ。
とりあえず寿命をまっとうして誰かにそのシステムの良さを伝達するまでの、生きるエネルギーになるのは、まさにそのシステムなんだ。

そのシステム(隠しスイッチかもしれない)をいかに発動させられるか。多分ここが決め手だかも。子育ても。

で、ものの本によると、生まれる前に、出会う予定のセンセイ達を、すでに選んで生まれてくるという説。
逆指名。それを私はしていたのかな、本当に?
親や姉妹や親戚や子どもたちや友達からも逆指名されていたのかな、マジで?

(けど、朝の寒さに顔も洗わず拭くだけで済ませているような私から、根性だの何だの学べるとも思えないけどなー。大丈夫か?子どもたち。)

そんなこんなで
今度の年賀状の共通文面原稿に、入れたい文言、「縁のあった人みなさんが師匠・・・」みたいなことを考えてて。
はっと「こりゃ相当ババくさい」と気づいたが
あえてその線で今年は行こう。もうババくさくてもいいや、どうせアラフィーなんだし。

で、
年賀状、いつも頂くひとの住所リストをエクセルに入れてしまってから
「筆ぐるめ」なるソフトがPCに入っていたことに気づいて
そこでは名簿管理から宛名印刷までできるようなので
早速、そのエクセルデータを筆ぐるめに取り込もうと、
夜が明けぬ間にも、色々いじってたけど
マニュアルが良くわからなく、試行錯誤の末、そこに1時間もかけてしまった。
こんなことしてる所要時間に、充分手書きで済んだんじゃん。
最近、もしかして、もしかしなくても、相当アタマ衰えてるな。
今朝の朝食時など、ウィンナーを炒めようとフライパンに油を敷くはずが
ぼーっとしてて油じゃなく蜂蜜のチューブボトルを手に持ってそれをフライパンの上に持って行ってて、
蜂蜜がまさに垂れてくる前に「あっ」と間違いに気づいて危なかったあ!

※夫は9日朝、ヴェトナム(というか普通にベトナムでいいよ)出張から、無事に帰国済。只今、自宅でゆっくり入浴中。





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