気が向けば・・・。


この今の瞬間に過去も未来も入ってるらしいし(何時でも)この小っさな頭蓋の内に宇宙も入ってるらしいし(誰でも)
だから、ひょっとしてこの矛盾に溢れた日記も、何時かの誰かに繋がったりするかも、って思ったから
少しだけ秘密度を緩めました。



子ども虐待防止「オレンジリボン運動」

2009年10月29日(木) 二、暇、の価値 (前日の続き)

(前日付けの日記の続き)

二、あー、でも、こういう講演を、もっと大勢の人が聴きに来られれば。
いつも思う。
平日午後3時の学校視聴覚室。この時間、この会場に来ることのできている人よりも、
いろいろな事情で、来られない人のほうが、
この講話を、より必要としているんじゃないかな、って。

たとえば
昭和女子大で開催されている、主婦の再就職のための「ママチャレ」講座に
「行きたいけれど、平日はパートを休めないし」
「行きたいけれど、小学一年生の子の帰宅に間に合わないし」
そうして機会を見送らざるを得ない人のほうが、
この講義を、本当は、聞きたいと思っているのかも。

ママチャレ関連では、その後も、色々と勉強になりそうな講座の案内を頂くが
夕方や夜なら、やはり、子どもを置いては出にくくなる。
そのために夫に早帰りを頼むというのも、
こっちが「仕事」ならば(それも、高給取りならば)大義名分も立とうが
ただ趣味や教養のためとなると、頼みにくいものだ。

学校からも、町内の回覧板からも、
子どもや親を誘う、いろんな催し物のお知らせが来る。
防災とか、芸能体験とか、勉強会とか。ためになりそうな。
地域でも、いろいろな企画活動をしてくれる人や団体がある。
でもたいてい、土日でも、都合がつかなくて、
そこに、ウチは行けない。
行けない人、行けない子が多い。

私が校外委員長だったころ
地区会館での集会などで、地域の年配のスタッフの方々が
「もっと若いご家族がたくさん参加してくれたら、盛り上がるのに」
「年寄りは、町内の子どもたちの顔を覚えたいのよ」
とおっしゃっていたっけな。
もしそうできたら、安心安全な街ができると思うけれど、
その若い世代は何かと、・・・一番、忙しい世代、
(それは、子育てにだったり、仕事にだったり、介護にだったり)なので
よっっぽど、相当、魅力あるイベントじゃなければ、
そこに優先して時間を割いたりはできないのだ。
かくして、魅力ある地域イベントを作るためには、
企画段階でPTA(校外委員とか、地域のイベント係とか)を巻き込まざるを得ない。
ところがそのPTAの係も、引き受け手に苦労している現状。

もし、
もしね、沢山の人々が、親子ともども、もっともっと
平日にも休日にも暇があって
来るお知らせ全てに、満足に参加できたら、
それらのイベントも、もっともっと充実すると思うんだけど。

かつてPTAで、学校イベント企画実施の側にいたころも。
参加者の少なさを残念に思った。大人も子どもも。

でも今、誘いを呼びかけられる側にいて考えると、わかること。
もうね、それらがどんなに楽しそうで有意義そうでと思っても。
全部に行きたい行かせたいのはヤマヤマなんだけど
何故か暇がないんだ。その気力も体力も余っていない。
特に、高学年の子どもは、休みにはただただ、休みたいの。
参加者の使える自由な時間に対して、明らかに
催し物の量は過剰供給。
捨てられる沢山のチラシ。勿体無い。

他にも、読みたい本、逢いたい人、観たいブログ、寄りたいワークショップ、買いたいお店、支えたい団体、
ちょっと探せば、きっといっぱい、世の中に溢れてる。
素敵な情報の発信者はプロアマ関わらず、たくさん存在する。

でもそれを受け取る時間は少ない。身長を伸ばしたければ睡眠は削れない。
受け取れるだけ受け取るだけの、純粋に「暇な」人が
いない。
受け取って咀嚼したら自分も何か返そう・・・とすると、
その時点で、受け取りながらの発信者となり
暇ではなくなるだろうから。

幼児期の「おみせやさんごっこ」を思い出した。
みんながお店を出すことばかりが忙しいと、買いに来てくれるお客の役が、いなくなったりしてた。
誰も買いに来てくれないと、おもちゃのコインも貯まらなくて、こっちもどこにも買いに行けない。

お金も大事、仕事も勉強も大事、だけど
みんながみんな、何故こんなに常に忙しいのか。忙しくならざるをえないのか。今。

「暇」は今や、贅沢品となったのだろうか。
上昇志向とは相容れない価値なんだろか。

「何にもしない時間」「非効率な時間」が、子どもにも大人にも、ともすると、不足しがち。

お店も出しながら、買いにも行けるよな、時間と気持とお金の余裕、
それをどうバランスよく手に入れていくのか。それがきっと、
平成22年度の私の課題かも。





 < 過去  INDEX  未来 >


n-k [MAIL]