気が向けば・・・。


この今の瞬間に過去も未来も入ってるらしいし(何時でも)この小っさな頭蓋の内に宇宙も入ってるらしいし(誰でも)
だから、ひょっとしてこの矛盾に溢れた日記も、何時かの誰かに繋がったりするかも、って思ったから
少しだけ秘密度を緩めました。



子ども虐待防止「オレンジリボン運動」

2009年10月28日(水) 一、緊張しつつ癒され熱され

一、この水曜は日中のほとんどを小学校で過ごした。

まず午前は、6年生の総合学習のお手伝いを。
子どもたちが作った縄文式土器を、校庭で素焼きする、その火の番をするというもの。
子どもが危なくないように。
むらなく焼けるように、時々、土器の方向を変えたりも。
煤で汚れても良い服で、軍手着用。

昔から、猫舌猫手で熱いモノが苦手な(強迫症と言ってもいい)私は、コロッケ揚げるのでさえ、おっかないのに、
よくぞこのお手伝いに参加してるなと、我ながら思った。

でも、子どもみんなの作品を眺めてると、なんだか
ちょっと、癒される。

あまり細かい装飾だと、焼く前の乾燥の段階でもう、ポロッと取れたりする。
そういうのは出来上がってから接着剤でつけることになる。
明らかに、そりゃ無茶だろうという凝ったデザインもあった。
拙かったりしても工夫してあって、
きっとああいうイメージで作りたかったんだろなと想像して
作品を見てると。
60名あまりのそれぞれの、小さな頭蓋骨のなかで
何かそれぞれにハジケてたんだろなと想像もできる。
癒されるー。
癒されながら、火に怯え、内心すんごい緊張しながら、癒されてた。なんなんだろ。

そのうち、火が怖い気持ちも忘れ、高温の中、必死で土器を回した。
焚火から来る熱風は半端じゃなく熱く、近づくのも命がけのようになり
ベニヤ板に水をかけて盾にし、自分の頭にも水をかけ、焼けそうな空気を避けつつ、
土器のひとつひとつの置く角度をだんだん変えながら、
だんだん火に近づけて粘土を高温にならしてゆくのだった。
午前中の当番だったので、本格的に焼けるのは午後の係の人々が見届けただろう。

学校の、特に体験型の授業は、このように、保護者のボランティアなしでは、もはや成り立たない。
この全てを6年の担任の先生二人だけでなんて、到底できないかも。
卒業生の保護者のご夫婦が一日中、アドヴァイスをしつつお世話してくださっていた。有難い。
先生から差し入れの冷たいお茶とお菓子を皆で頂きながら、汗だくだけど楽しい時間。

帰宅し、入浴し(だって汗と煤だし)着替えて
振替休日だった夫とカンタンなラーメンで昼食をとり、
午後からはPTAの単P研修会に参加。
スクールカウンセラーの先生による講演。
交流分析という自己分析法の中の、エゴグラム(ego gram)
人が持ってる三つの心、
「親」の心、「大人」の心、「子ども」の心。

さらに「親」は CP(厳しい親)、NP(優しい親)に分かれ
「子ども」は FC(自由な子)、AC(従順な子)に分かれ
一人の中に住む、その五つのエネルギーは、場面に応じ時に応じて、どれかが繰り出される。

分析してみた今の私は、CPとACが低く出た。NPとFCは、やや高め。マイペース気味?

そして相手にもその五つの心があって、どれかを繰り出している。

気づかせてもらえることが多々あり。
ともすると自己中心になりがちな子育てを、見直してみる。

子どもは、その心を(存在価値を)、まずは一番、親に知っててもらい、親に認めててもらいたい。
そーすれば、子どもが子ども自身を知って認めていくための
脚の踏み場になれる。
子どもの心を知ることは、親が自分の心のありかたをまず、知ることかな、と思った。
自分も(誰も)かつては子どもだったし、その子どもごころを今もどこかに潜ませているという、
実は当たり前のことを。

環境と健康に気をつかい、食べさせて住まわせて、
学費とか塾費とかの、お金もなんとかなってて、
何不自由なく過ごせるように、扶養している、
・・・って、それだけじゃ、子どもを育ててますー、とは
言えない、かな。
眼に見えない何か、を育てて、「看る」こと、
これは、大きな余裕が(経済だけじゃなく)親の側に持っていないと
難しい。そう思った。



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