祖母へのプチ介護で決して暇ではない実家の母、が、昨日来て、夕方、色々手伝ってくれてた。
実際ここんとこ諸々あり、ちょっと気が疲れてたので助かった。 私は限られた発電量で、わずか数個の豆電球を直列つなぎで光らせようとしてるヒト。 イッコ電球が増えれば、イッコの光度も落ちそうになるわけで。 (並列でつなげばいいんじゃないの?)
で、溜まってたアイロンがけをやって貰ってる傍で、私は洗濯物をいじっていて その間、お喋りしてたこと、
親きょうだいから〜そのまた親きょうだいから、ずっと引き継いできた精神的なことは 正の遺産、負の遺産、様々あるけど、それが今の母や私や妹の、根幹の大部分を作ってて、 それぞれの夫や家庭にも波及させあい、 されあってて。 なんの役割を今後担い、どんな世界観を次に引き継いでくか、全部、プラス要因に転換できたらいいよね。 それができれば今生で悔いないよね。・・・みたいなこと。
そんなわけでいつになく私も、高尚な気分になってたせいか、たぶんその瞬間は、妙な脳波が出てたらしい。 (以上前置き)
不精にも四、五日ほど前から放置してあった、洗濯済の娘の靴下を手に取りながら、 その日までになんとなく思っていたことを、初めてはっきりと、私の口が独り言っぽく言った: 「ああ、そーいえば、このくつした、片方しかないんだもん、ずっと。片割れが行方不明で。どこいったんだか。でも、 まあ、そのうち出てくるよねー。」
で、またその靴下の片割れを、放置山にそっと戻しておいた。
夜、塾から迎えた娘と帰宅して、入浴前にふと、脱衣かご棚の下方に目がいき、 そーいえばこのあいだここで、ゴキちゃんを見かけちゃったな(※退治済み)、と思って 眠くてメンドクサイけど、買ってあった「コンバット」を仕掛けるべく、ざっと掃除で荷物をよけた: 「あれ、なんだこれ、こんなところに何か落ちて挟まってるし」
それが数時間前に触っていた靴下の、もうひとつの片割れだった。 埃をかぶって救出された一本の靴下。
「そのうち出てくるよねー」の言葉通り、その日の終わりまでにちゃんと出てきた靴下に 私はなぜかびっくりした。 言霊ってやっぱりあるんじゃないかと。しかもそれ、人にもモノにも通じちゃうんじゃないのと。 出てくるだろうという希望的な私の念派が、肉声の言葉で増幅されて、無機の物質にまで届いて、 そいつが「そうだよ。見つけてくれー」と叫んで、私に返して来たのかなと。
そうなると、日頃から無機物質に愛のかけらも持たない私も、畏怖せざるを得ないな!と思った。ちょっとだけ。 あれもこれもモノに籠るパワーなのかと思うとコワくて生きていけない(笑) 幼かった息子がお地蔵さんの前を通れなかった事例とか。 近年でも、娘が、しまいこんだ園児時代のおもちゃのことを思って言ってた事例とか。 ※2006年4月4日の日記「娘の、理屈じゃ説明できない、モノへの恐怖」http://www.enpitu.ne.jp/usr2/bin/day?id=23448&pg=20060404
いや、マメに掃除することに私が興味を持てばいいだけの話かもね。 気が落ち着くであろう来春にはそこここを片づけてちゃんとやるから、今は放置を許してくれる?>モノたち
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