| 2009年05月01日(金) |
人というナマモノに関わることを想う。 |
(ほとんど昨日付けの日記の続き。「少子化」の意識調査の記事に、また繋がるけれど。)
我が子が、良い感じに友達と関わり交わっているのを聞けば、聞くほど、かなり嬉しい。親の私を超えてってくれるかも、って思えて。
実は私自身はこの歳でも「初対面の人を自分からランチに誘う」ということにさえ、まだ慣れず。なんでか。
どういう反応が返ってくるのかを必要以上に恐れていたのかもしれない。
月曜、区民会館で開かれたPTA研修会の帰り、同じ学校から出席した委員さんに、思い切ってお誘いの声をかけて、 たいそうドキドキし、そして、結果、楽しかった。ぐっと親しみが増した。これから一緒に仕事がし易そうな気がした。良かった。
人と繋がりたいと思えること、 人の話を聞いて心地よいと思える自分であったことは、 それ自体が既にもう有難いことかと。
木曜、yountelの勉強会(Josian)で再確認したのは。 人のいろんな生き方とか幸せとか、どれがあるべきだとかカッコいいだとか、決めつけられないよね、 どれも選べるようになればいいよね、と。 その際にご一緒したひとに 漠然とした不安 (私は、子育てが一段落した後にいったい何を一番にしたいのか実のところよく分からない) を漏らしたら まずは何かやってみる経験から何かが広がる、何かが生まれるよ、と言ってもらえ、 その言葉は腑に落ち、確実に何かの種となった。
何かに嵌る、ドアを開ける、開けてみせる、入ってみる、浸ってみる、誰かに繋がる、 そうやってみないとなかなか分からないことってある。 関わらなければ無傷でいられるという考え方に長い間捉われている私が、変わるとすれば、とりあえず関わることからかな。
経験しないと実感しにくいものといえば、 人間を育てるという地道なお仕事にまつわる苦労と喜びも、そうだろう。
育児。人間が人間に関わる関わり方で、こんな深い暑苦しいものって、そうそうめったにない。 お洒落にキレイにスマートに効率よく、なんてまず在り得ない。 泥んこにもなるしぐちゃぐちゃだし、傷ついたり汚れたりもするし、 素敵じゃないしカッコわるいし、エゴのぶつかり合いもあって、 だからすごく、変わらされるし、どこまで自分自身なのか分からなくなるほど染まるし、 でも、その攪拌具合、予測のつかない相手と自分の常に変わるもの、それと付き合うのもまた、 楽しい嬉しいことだと思えるような感覚をこそ育て 次に誰かの間に遺せたなら、ある意味、それは成功かも。
※昨日、実家の母がインフルエンザの備えにと、大量のマスクを届けてくれたー。
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