気が向けば・・・。


この今の瞬間に過去も未来も入ってるらしいし(何時でも)この小っさな頭蓋の内に宇宙も入ってるらしいし(誰でも)
だから、ひょっとしてこの矛盾に溢れた日記も、何時かの誰かに繋がったりするかも、って思ったから
少しだけ秘密度を緩めました。



子ども虐待防止「オレンジリボン運動」

2008年10月29日(水) 「どちらかが大嘘つきってことね」「いや、どちらも正しいね」

※今日の私はちょっとアレ。
派遣情報サイトを見るのもあえて休む。
内省と落涙でストレス物質をデトックスする時間を優先するモードに。

※最近妹のブログを読んで。
この妹がいて今、私はやはり幸せだと思った。
彼女はいつも人の心の真ん中深くを曇りなく見つめて丸ごと大事にするし、
それだけじゃない、この地上の人間がどうというレベルに収まってるだけじゃなく
あらゆる生物無生物をちゃんと大事にしようとしてる。

私は妹を誇りに思っている。ありがたいとつくづく思う。
だから彼女が紹介してくれた本(と、著者)にきっと私も一票投じたい。
で、その本のキーワード、
「ありがとう、ごめんね、許してね、愛してる」
を、私も忘れずにいたい。
その詳細はこれ↓
ハワイに伝わる癒しの秘法 みんなが幸せになるホ・オポノポノ 神聖なる知能が導く、心の平和のための苦悩の手放し方

そしてこんな妹を育てた母と、
こんな自分を幸せだと思える私を育てた母を
私は誇りに思うし
そんな母を支えた父をありがたいと思うし
そんな家庭に生まれ育ったことを
今、幸せに思う。

だけど育つ間には、子どもだった私は何かしら
自覚無自覚ひっくるめ
この家族に多々、迷惑をかけていたに違いない。

私は沢山の人に許してもらってる。だから本当は私も沢山の人を許したい。※

・・・・・・・

伯母(祖母の長女)は、その母親(祖母)に酷く折檻されて育ったと言う。
祖母(伯母の母親)は、子どもはとにかく抱きしめて褒めて育てよと言う。

二人の言葉のどちらを信じれば?いや、
二人のどちらの話も、おそらく、事実、本心から出た言葉なんだろう。

つまり祖母には歴史がある。あの時代、満州で、誰にも頼れず
死に物狂いで、初めての子供を育てた時代から、60年以上経た今、
私(孫)に語る言葉に嘘はない。
でも伯母が抱える傷は今も癒えていない。
次女(私の母)も癒え切らない傷を持っている。
全人格的に受け容れてもらうことに餓えた、という傷を。

その傷たちは私を含めた親族たちにも波及して、
薄まりつつも根強く残って、形を変えて、
あるものは受け継がれ、あるものは消化され昇華されていく。
そんな私のことを
今の祖母は抱きしめて褒めてくれている。懸命に。
でもそれは私の心のフィルターに引っかかってなかなか届かない。

(お釈迦様でさえ、その言葉を弟子が記した膨大な数の経典の中には、
一見、互いに矛盾する教えがあるという。況や凡夫をや。)

ところでそんな私は、
私は我が子(の心)を酷く裏切ってしまったことが多々ある。
幼子にとって、親からもらう無償の、全てを受け容れてくれる心というものは、彼の世界の全てに匹敵しただろう、
それを基から粉砕するような罪。

長崎の社宅で、梱包用のガムテープの塊で、子どもの顔を殴った。私が。
何の言い訳も(今は思い出せないが)、この自ら振るった暴力の事実の前には瓦解する。

子育て始めて三年経っていた。おなかの中にいるときから出てきてもずっと、出物腫れ物ひっくるめて、息子のすべてが私の体と心の一部でもあり、私は息子の体と心の一部なのに。
私自身のお尻よりも彼のお尻は綺麗に拭かれていたのに。
私自身のヨダレよりも彼のヨダレは愛されていたのに。

(私は今でも時折、
思い出してはガムテープの重たい輪っかを右手で掴み、
自分の右頬を殴ってみるけど、あの時の彼の痛みには届くはずもない。
自分にはどうしても手加減するし、何よりこれから殴られる覚悟ができているし、それに彼の痛かったのはもっと心なんだし。)

千葉の社宅で、あの子は私に怒られ、裸のまま、廊下に出されたこともあるのに。
幼稚園ママ友が「いったいどうしたの?」と駆けつけるまで我に還らなかった私。

そうやって何度も私に酷くされても彼は蘇って私を見捨てずに許して支え続けてくれた。
もう二度とあんな思いはしたく(させたく)ない。
過去に(あるいは、彼の心の中に)走って行って、厭な思い出を修正液で消して回れたらと。
が、それは叶わない。

いつかこんなあれこれを思い出して彼がもし無性に仕返しをしたくなったなら、
それは誰にでもなく私にだけ限定で向かって欲しい。
いや、でも、彼はきっと、苦しみながらも結局すごく許してくれるだろう。
子として親を許してくれるだろうことに
つけこんで甘えたのは私だ。
申し訳ない。この埋め合わせはこの世で必ずや果たす。
何十何百倍にもして癒し返す所存。
死ぬまでに。いや、死んでからも。
強く願う。約束する。

※タイトルは、来月生誕80周年を迎える手塚治虫先生の「ブラックジャック」より。
中学生のころはブラックジャック先生と結婚して苗字を「間(ハザマ)」に変えたいと本気で思っていた。先生の戸籍上の本名は間黒男(ハザマクロオ)。いかにも適当くさい名前だ。
でも今は、ピノコを愛する先生が好きなので、二人の幸せを心から願うものである。

※メールやサイトで自分のことを書く時、大抵は「こうなりたい」「こうありたい」という願望混じりで書いていて、実際、現時点での自分は到底そこに届いていないので、
サイト等のみで私を知ってくれているひとから「結構あなたはエライよ」って慰めたり褒めたりしていただくことが時にあるけれど
それは、
すんごく、後ろめたい。が、
「こうなりたい」と思ったり・言ったり・書いたりすることが、
まだそうなっていない自分を引き上げるであろうことを期待するものである。

※ましてや、最近PCで暇さえあれば履歴書や職務経歴書のファイルを粉飾(?)更新にいそしんでおり。
ちょっとやったことのあるバイトだとかPTA活動だとかをさも、
すごい頑張ったように表現する。
本当の自分は
人中に出ればオタオタし、
ぴしっとした場に出れば近視眼的に抜けてるし、
いざというときにちゃんとできないことを痛いほど自覚してるので、
自分の書いた自分のイメージに自分の中身が追い付くことを目標とするという、なんとも恥ずかしい内実ではある。

※衆院解散&総選挙が、またも先送りになったので、
登録中の世論調査アルバイトは延期。その日程は一層見通しが立たなくなった。
かといって、ひたすら連絡待ちの身分でありながら他社に応募してみるのも気が引ける。
おまけに冬休みのことをどうするかも。
職歴欄を埋めてみたいのはヤマヤマだけど
今はそうね、勉強?充電?そゆことなのかな。

※お金をいつどこからどう取ってくるのかをあれこれ悩んでるのはなんのため、
子どものため、自分のため、と、更に将来には
取り巻く世界のなかのどこにお金という支援をしたくなってもできる自由を確保するため、
そう思っていた。
こっちにお金を取ってくれば、だれかはその分のお金を取られる。
地球の上でヒトが持ってるお金があっちからこっちにわずかに動いたところでそれが何?
でもそのわずかな動きが塵も積もればなんとやら。
このわずかな動きに意味を持たせるなら
私が納得できるような意味じゃないと気分が良くない。
どこにどう納得するの。自問自答。
そこでやっぱり
ホ・オポノポノ、なのかも。
じゃあ私も買うよ、この本、この考え方、この言葉。いまネットで注文してみるよ>妹へ

だけど、きっと全面的にホ・オポノポノを理解できるとは思わない。
もしかしたら私なりに解釈できるかもしれないと思う。

それでいいんじゃないの。自分なりに解釈してゆける幸せ、解釈できる状態を目指せる幸せ。これを少し回りに投げかけていこうとする自分の善意に自分で一票入れるだけだ。
提唱者のレン博士は、思想の純粋さを保つために、組織を作らないでいるとのこと。それが本当であれば私はそれを応援する。





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