気が向けば・・・。


この今の瞬間に過去も未来も入ってるらしいし(何時でも)この小っさな頭蓋の内に宇宙も入ってるらしいし(誰でも)
だから、ひょっとしてこの矛盾に溢れた日記も、何時かの誰かに繋がったりするかも、って思ったから
少しだけ秘密度を緩めました。



子ども虐待防止「オレンジリボン運動」

2006年11月13日(月) だってパパが、観てる途中でいきなりチャンネルを・・・(忍泣)

ここのところ、なにかと「いじめ」という言葉に脳内で反応してしまう日々。

ところで、ついこの間、社宅時代のお友達から久しぶりにランチの誘い。そして久しぶりに銀座などという私には敷居の高いエリア。着ていく服も普段開けない引き出しから、使えそうなものを引っ張り出すのに数時間。
そして久しぶりに、1000円ではおつりの来ないランチセット。でも美味しかった!
何よりおしゃべりが楽しかった。
(Rちゃんがお仕事で来られなかったのはとても残念だった。)
あの頃我が子の幼稚園での諸問題をあれこれ語っていた私たちも既に皆、中学生の親で、あの丸々っこい顔の子がガクラン着てる姿なんて想像すると不思議だけれど。
考えてみたら、うちの子だって縦に伸びているんだもの、みんなだって伸びるさ、ねえ。
そしてみんなだって、社宅で出会ってからのこの10年近く(10年近くだよ!時間って早っ)、反抗期なり思春期なりにさしかかるまで、自分にも周りにも色々あるわよ。それぞれにドラマが。

先週は息子の中学での保護者会。先生から説明があったんだけど、退学生徒が一人出てしまった。大体のことは息子から聞いていたんだけども。
いじめ、というのとも微妙に違うケースだったけれど、他者の気持ちに思い至れない生徒がいたということでは共通するものがある。
退学生徒は、相手の生徒に相当な怪我をさせるようなことだったらしい。
うちの学校の先生方は、生徒の諸問題には比較的きめ細かく&早く対応するほうだと思うけれど、それでも改心させきれない子がいた、ということなんだね。
せっかく頑張って入学したのにその子は残念だけど、周囲を傷つける生徒を、私立学校としては放置しておくわけにはいかず、毅然と処分することも必要なんだろう・・・。でもそうなると転校した先までのフォローは?最終的にはやっぱり家庭がどうかということになる。

で、いじめ問題を思い出す。
自殺予告の匿名の手紙を受けて、文科省も緊急アピールの文書を学校を通して配布してきた。
手紙を書いた子は、そういう動きを分かって思いとどまってくれたんだろうか。どうなんだろう。
ネットでも公表された「遺書」全文を読んで思うのは、芝居じゃなくて本心ではないか。ただ、この形で本心を出せたことで良しとし、それ以上は思いとどまってほしいし、
それを思いとどまらせるのは最後は親だと思うんだけど。「生きてるほうがどうもよさそうだ」のほうにちょっとでも針を振れさせてほしい。連鎖的に自殺のニュースが流れてるけど、死んだ気になって失踪したほうがまだ良いって思ってほしい。

どこの集団でも、個々のいじめには然したる具体的な理由はなく、いじめられるのは、事故に遭うようなものだ。
そもそも、なぜ、人をいじめたい人は、いじめたいという気分になるのか、そこんところ解決しないと、学校だっていじめ根絶は難しいだろう。
(先生が加担してるようなのは論外だけども)
いじめたいとか、いじめのターゲットをつい探してしまうとか、いじめることが快感、ていう感覚は、いったいどこから来るのか?
むしろ、大抵の人は、いじめたり・いじめられてる場面を見て、不快になるのがほとんどじゃないだろうか。
どこで快不快が分かれるのか。自分の心の中に、いじめないと均衡を保てないような空洞みたいなものができてしまうんだろうか。
残酷な場面を見たときに、「ああ、あれが自分の身に置き換わってたら、やだなあ、だからやめて!見たくない!」というフツーの反応ができる心境をまっとうに育てられたのは、何に気をつけて育てられたからなんだろうか?何に、って言われても「これです」って取り出せない、分からない。けど、まっとうなことがキットすごく大事だろうなということだけ分かる。
人が痛い思いするのを観て生理的に(理屈じゃなく)イヤだと感じ・それを取り除いてあげたくなる感覚は、トイレでちゃんとお尻を拭きたくなる感覚と同じように、家族とのまっとうな生活の中で身につくべきで、
家族に全人格的に受け入れられてない空洞を、いくら学校教師が言葉を尽くしても、満たすなんて無理だろう。

私もかつて、ごく短い時期だけれど、軽くいじめにあったこともあるし、またいじめとは違うけれど自分を常に全否定されてる気にさせられて自殺を考えた時代もある。
けど自殺を思うのは、死にたいからではなくて、自分をアピールしたいからだった。
「私のこのまんまで、“あんた、それで良い”って言ってほしい。死んだ私を見て、“ごめん、そこまで悩んだの、悪かったよ”って言ってよ。」と口で言えないからそんな想像に現実逃避するだけだった。
狭い人間関係が世界の全てのように思いつめているから、「そんなときは、世界地図を眺めてみて。」と、何かの本に書いてあった。それを過去の自分に伝言できるものなら伝えたいけど。

そんなことを思い出しながら土曜の晩御飯の後、テレビで流れてた、いまどきの子供達の「いじめ」に関するトークを家族と一緒に観てて(死んだら生まれ変われると考えている子もいた)画面に向かって私がツッコミをやっていたら、
夫が突然テレビのチャンネルを換えてしまったのだ。他愛ないグルメの番組に画面を強制的に変えちゃった。別にそれが観たかったわけでもなさそうなのに。
(夫の考えたことは大体想像がつく。こういう、自殺だとかいじめだとかの言葉を、まだ小学3年生の娘などに刷り込ませたくなかったとか何とかだろう)
でも!私は子供と一緒にこのまま観ていたかった。子供にだって、ちゃんと、そこにある問題から目をそらさず見て考えて欲しかったし、私も考えたかったのに、・・・また臭い物に蓋ですか?
そうは言い返せなくて、独り言のように「どーして何の断りもなく換えちゃうかねえ」と発してみたが反応なし、でも腹の虫がおさまってなくて、でもちゃんと言えなくて、こんなに考え方違うのに言えない夫婦って何?とか思いつつ、二階に上がって布団被って寝てしまった。泣きながらね。でも誰もそんな私に気づかない。気づいて欲しいとか思いながら寝ていたが、
息子が「ママどーかしたのー?」と声かけてくれたけど、私が布団越しに「だってパパが途中でチャンネルを換えちゃったんだもん」って、これじゃまるで駄々っ子の言い分だし、やってることも幼稚だし、何の模範にもなりゃしないし、最悪な自分で、
でもそんなバカなことを人知れずやっていることを、本当はパパにその本心を分かってほしいけどそんなの無理な話なんで、つまり無言のアピールなんて、本当に届かせたい人の耳には届かないんだから、泣いてても死んでても自分が損するだけなんで、
ここに愚痴って終わりにした次第。


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