気が向けば・・・。


この今の瞬間に過去も未来も入ってるらしいし(何時でも)この小っさな頭蓋の内に宇宙も入ってるらしいし(誰でも)
だから、ひょっとしてこの矛盾に溢れた日記も、何時かの誰かに繋がったりするかも、って思ったから
少しだけ秘密度を緩めました。



子ども虐待防止「オレンジリボン運動」

2005年12月06日(火) 娘を待ち伏せする日常

息子の第二次中間テスト&誕生会も終わり、実家から「日本大地図帳」ももらえて、娘も「ちゃお」を買ってもらって、
恵まれた平穏な生活に感謝。
私の祖母の口癖「こんな可愛い子たちを持って幸せだねえ」は、確かに当たってる、その通りだと私も思う。
だけどニュースでは連日悲しい事件が知らされる。

なぜ、子供が狙われるのか。誘拐殺人の刑は死刑だけでは遺族の気持ちは治まらない。それ以上の何かないのか。
犯人は一体全体、どんな子供時代を過ごして、そんな非人間的な心になったのか。
犠牲になった小学1年生の女の子。そしてその親御さん。その気持ちを考えるだけで叫び出したくなる。だから考えたくない。でも考えなきゃいけない。

学区のはずれに住む、うちの娘の学校の帰り道、絶対に一人きりにはできない。友達と別れるポイントまで迎えに行っている。
でも下校時間が、なぜかいつも一定しないのが困る。やけに遅い日もある。先生の話が長かったりとか、らしい。
いっそ学校まで迎えに行ってしまったほうがラクなんだけど、彼女も途中までは友達と帰りたいだろうし、決まった通学路を来るように約束させてあるから、気長に待つ。
時間の幅を持たせて子供を待つ間、冬場はかなりこたえる。だからコンビニのドアの内側で、外を見ながら待つ。
何も買わないでいるのも悪いか・・・、ということで、たまにはガムとかお菓子とか買ったりする。

見ていると娘は友達と、たいてい2〜3人で、実にのんきに、くっちゃべりながら笑いながら、ジグザグ歩いてやってくる。
もっとスタスタと歩けないのかな。親の心子知らず。
娘の友達は私を見て「あ、このおばちゃんがまた来てる」と思ってるんだろうけれど。
二股に別れる道でその子達と「バイバイ」するまでのちょっとの間、彼女たちのおしゃべりを、距離を置いて聞きながら歩く。
女の子は、毎日ほんとうに楽しそうだ。

娘と一緒に並んで歩くと「背が小さいなあ」って実感する。「小さい」ってだけで、こっちの体調によっちゃあ、泣きたくなるくらい涙腺が緩むことがある。
小さい頭で懸命に考えたらしいことが、小さい口から出てくるんだから。
そうかといって息子はもう私より背が高いけど、高ければ高いで、こんなに大きくなったのにまだこんな可愛いところがあるのかあって、それは感動に値する。
子供の心配をしなくていい歳に、早くなりたい。と思う一方、まるでずっと止まったように、超低速で時間が流れていって欲しいとも思ったりもする。



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