2004年05月21日(金) |
反省&勉強&反省、繰り返し |
毎週水曜と金曜夕方は、息子は5時から塾に行く。 それなのに、今日金曜日、下校後すぐにどっかに遊びに行った子供、4時40分になっても帰ってきやしない。 よもや忘れてないかと、息子の携帯にかけた。いったいどこにいるの、塾なんだから早く帰りなさいと。そしたらそれに対する彼の答えに 私は思わず 「いったい何考えてるのー、どうしてそう無計画なのっ!」と怒鳴ってしまった。でもそんな頭ごなしにしないで、事情心情をよく聞いてやればいいのに、と ふと昨日のことが頭をよぎって、“これ、このことなんだな・・・きっと”
というのは、私は昨日木曜日朝から、区のPTA連合の総会に出て来た。 前半は新旧役員の紹介(去年の皆さんお疲れ様、今年からの皆さん宜しく)と決算報告・監査・予算案の承認。何度も何度も拍手マシーンのように、よくわからないまま拍手していた。 でも後半のオマケのほうが私には有意義で、スクールカウンセラーの先生による講演会だった。 この話が、いったいどこでこの人は私を見ていたの?というほど身につまされ泣かされ。ハンカチ持ってってよかった。 忘れないうちに書いておこう、以下、復習、要点まとめ・・・。
学校の相談室にはいろんな子供が来る。 いつのまにかふらっと来て、いつのまにか充電して帰る子もいれば、 はきはきと何かを訴えに来る子、 ただだまって相談室においてあるオセロや組みひも遊びをじっとするうちに重い口を開く子、 さっきまで泣きながら友達との不和を打ち明けていた子が次の休み時間にさっぱりした顔で報告に来る子、 いろいろな子供の言葉を、じっくり寄り添って引き出してきた先生の話は説得力がある。
言葉にはなかなか出さないから大人にはわかりずらいけれど、子供の心の中にはちゃんと気持ちがあって、 それをいつもわかってもらいたいと思ってるけど、 大人は子供に「こうあってほしい」という期待(それは高い能力だとか、ポジティブな好ましい性格だとか)をかけすぎるから 子供はそれに応えようと必死になって疲れちゃう。 子供でも大人でも、自分の明るい面だけじゃなくて暗の部分、ネガティブな気分、も誰かにわかって受け入れてもらえれば それが「自己肯定感」を満足させて、「じゃあちょっと次はがんばろうかな」と前に進む気になるものだ。 「自己肯定感」の高さは、実際の能力の高さには関係ない。「優越感」とは別物で、たとえ何かがうまくできなくても、自分はダメだなんて思わない。 自分を肯定することができないと、普段はうまくいっていても、いざ誰かに越された時、今度は激しく劣等感にとらわれる。 高い「自己肯定感」をもっている子は、他人のよさも認められる。
だから、「よくできたときだけ誉める、認める」じゃなくて、弱いとき・へたっているときの子供も、ちゃんと共感して、認める。 「あなたはいっつもダメ」とか「もー、馬鹿なんだから」とか間違っても言わない。その存在否定的な言葉の通りそっくり自分を当てはめる子になってしまう。 そして、自立させるというのは、ぽんとそこに放って置いてきぼりにすることじゃなくて、その前にまずいっぱい依存を許して 安心して「ちょっと自分でもやってみようかな」という気分を、よくみて大事に見守ること。 ・・・・・。
そうだよね、大人の私だって、愚痴をきいてもらいたいことがいっぱいあるもの。 愚痴ってるような自分のことを、誰かが「あんたもよくやってるよ」とわかってくれれば、まあちょっとは前に進んでいけるんだし。 どうせだめだと思ってるうちは、汚れまくったおトイレが掃除する気力も失わせるようなもので、 一度プロがキレーイにクリーニングしてくれたら、その日から、ちょっとのハネやシミも、即その場で拭いたりしてキレイに保とうって気になるのが 不思議だ。つまり 「うちのトイレはもともとキレイなんだ、だからいつもキレイにできるんだ」と自信をつけたのかも。(トイレが、ね。) ここんとこ、とくに息子には、追い立てるような言葉とか、「ほんとになんでそう、考え無しなの!」とか言ったりして、まずかった。 夕べは真面目に、はじめて息子のPCアドレスにメール打った。ごめんねって。大事に思ってるんだよって。 (まだ彼は開いてないみたいだけど)
だから昨日からの私の、子供に対する言葉には、こころなしか以前よりもデリカシーがある。 はずだったのに、 やっぱ、今日は、だめだ、もうはや、「ばっかじゃないの!!!」的な怒りかたになっちゃう。 だって、3時半に学校から帰ってきて、そのあと5時に塾に行こうという場合、ふつう遊びに行くとしても、せいぜい近所の公園とか友達んちで しょ。 ここは世田谷なんだから、4時40分の時点で自転車で目黒駅に居てはいけないのだ。ちょっと計算すればわかるでしょ?バスでだって30分はかかるんだから。 塾に電話で「申し訳ありません、ちょっと息子は行方不明だったので遅刻します」って言っちゃったし。 まして、「桜田門まで行ってみたんだけど、思ったより時間かかっちゃって」なんて呑気に言われたら、 携帯越しにでも大声だしちゃうほどやっぱり呆れちゃうのは、 私の修行と度量が足りないの? 電車で1時間もかかるようなところに自転車で散歩に行って見ようなんて無謀なこと、どうして考えるのだろう。塾に行く時間まで90分しかない時にねえ。
彼の勇気や好奇心を認めて誉める境地には、まずとても達することができない今日の私だった・・・。
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