3年前の娘は、本当に小さかった。 髪の毛もほとんど無いに等しかった。 ちょっと歩くと疲れた、抱っこ、と泣いていたし、 ちょっと押された力が強いと泣いていたし、 トイレの便座にお尻がすっぽりはまって泣いていたし、 困ったことがあっても何なのか言えずにただ泣いていたし、 そのくせ妙に自分があって、頑固で、でも言えずに周りを悩ませたし、
いまでも小さいけれどとりあえず、身長1mはやっと超えた。 頑固ながら、意思を疎通するのがちょっとはうまくなった。 パンツを膝でとめたままで用をたせるようになった。 お弁当をめったに残さなくなった。 我儘ほうだいは少し直って、後輩をかわいがることも覚えた。 ちょっと遠いところまでは歩いても根をあげなくなった。 そして地肌が見えないだけの量の髪が生えた。
卒園証書の貰い方を練習中、一番上手と誉められた。 どんなふうな式次第なのかを親にまともに説明できるアタマをいつのまにかもっていた。 たった3年の間になんだかいろいろ育ってくれていた。
家で、親だけでもしも育てたら、面倒でor心配で、多分そこまでさせられなかっただろうな、ということも、いっぱいさせてもらえて、 予期せぬハプニングや、友達の思いがけない反応、そういうものに触れられて、 ちゃんと親離れ子離れさせてもらえて、 本当に良かった、3年保育。 へんなものさしではなくて、その子その子をまずは受け入れてくれる安心感がこの園にはあった。 子供達にもその姿勢は伝染り親にも伝染り、だから一層、 クラスの子全部の3年間の成長に感涙しちゃうような卒園式になる。
去年よりも今年、昨日よりも今日、子供はさりげなく前に進んでるからすごい。
私はどう。何も進んでないけど、自分がそして友達が、もともと学生、いや「子供」だったことは再認識できた。 貰ったものはたくさんある。 いろんな行事の準備や係りの仕事やサークル活動を通して、私と同年代−10+10くらいの範囲の仲間が見せてくれる、 隠れた特技とか、意外な一面とか、ちょっとした好もしい気持ちとか、キップのよさとか、 そんなの見ちゃうと、得した気分。 誰かの言葉の行き違いとか、ひとの思惑の難しさとか、そんなことでたまには悩んだりもするけど、 ほとんどの友達は、それをがんばってクリアできる力をくれようとするし、結局もらえるし、 だからこそ見られる、誰かの心のキレイなところ、 そんなの見られるのってラッキーで期間限定なお買い得な時代だった。 いつまでもいつまでもそこにはまっていたかった。まだお腹いっぱいになってない。
別れたくない人との別れはいつもいやだ。 会えば多分たくさんおしゃべりするだろうし、それはまた別な楽しみだろうけれど、 でも今この状態の自分が今この状態の仲間とこの心理状態でいられるのは今だけ。 そーゆー、かけがえがない時間の集まりなんだね寿命って。なんてことをすぐ考えてしまうのも、30代最後の歳だからかなとか。 会う人ごとに言ってるけど、月に帰る前に記憶を消してくれる薬を飲み干すかぐや姫を見守るじいやばあやみたいな気持ち・・・。
|