気が向けば・・・。


この今の瞬間に過去も未来も入ってるらしいし(何時でも)この小っさな頭蓋の内に宇宙も入ってるらしいし(誰でも)
だから、ひょっとしてこの矛盾に溢れた日記も、何時かの誰かに繋がったりするかも、って思ったから
少しだけ秘密度を緩めました。



子ども虐待防止「オレンジリボン運動」

2003年11月24日(月) ガクレキ

(バザーが終わってもなんだか忙しい。PTAでもちょっとした懸案事項があるし、幼稚園でママ達がお料理したり、来週は息子が友達呼んで誕生会を開きたい(らしい)ことから、メニューやらプログラムやらどうしよう。そして来春の謝恩会の出し物の準備が早くも始まろうとしている。)

学校時代は。(これまた遠い過去の話だけど)
同じ地域とか同じ歳とか、受験後は同じ偏差値とか、同じ学部とか、でまとめられた人々と一緒にいた。
そしてなんとなく出身校や在籍校がついてまわる。就職してもそうだった。

しかし主婦ともなると、そういうくくりは意味がなく、歳も地域もガッコも職歴もかなりばらけて、いろんな人と出会える。
親になると「何歳の女の子と何年生の男の子のママ」、で見られることが多い。
ここでほんとに問題になるのは人付き合いの姿勢、それだけ。子供にも、大人にも、どう接しているのか、評価の基準はそこ。
夫へのいろんな交渉の仕方、実家や婚家との付き合い方、辛口な忠告の腹への納め方、部屋の片付け方、お隣さんへのおすそわけの仕方、
すぐ泣く子の本心の読み方、兄弟げんかの仲裁の仕方、長い待ち時間での子供達の遊ばせ方、やる気の出させ方、
親子お楽しみ会の余興の決め方、お誕生会のメニューのつくり方、上手なランチの企画の仕方、PTAの委員さんへの仕事のふり方、
そんなの教科書よんでも書いてない、そういうことがうまいか下手か、そんな情報をどうやってもらうかあげるか、それが問題。
・・・そういうのがいい。

でもたまになんかの拍子に、出身校の話になることがある。すると落ち着かない気分。
通っていた学校が、ヘンサチが比較的高いところなので、たいてい「アタマいいのね」といってもらえる。
それが微妙に嬉しいのと、後ろめたいのとで、この程度のことを嬉しがった自分が恥ずかしく、どんな顔していいのか、わからない。

正直言って小学校から中学校までの成績はとても良かった。高校も、文系科目に限れば、良かった。
記憶力がそこそこ良かった。今はオオボケだけど。
たしかにその時の私は、「アタマよかった」(過去形)かもしれないのだ。
机上の、それも興味のある科目のベンキョウだけ、好きで得意で、そんな私を見て親族一堂は満足し、偉いねと言った。
そう言われている自分もそれでいいのかと錯覚して満足した。
でも人付き合いはヘタだし、人の気持ちにも鈍感だし、遊び方もわからないし、思いつくアイデアもなく、判断力もなく、指示待ちで、
世の中や人中に起こっていることのほとんどを何も知らない、知る努力もしなかったし、
心のヒダを深くするような何かをやる為の時間を、単語覚えに費やしたという、時間配分だけの問題で、
やりたいことや夢に向かってそのために努力して大学に入ったわけじゃなくて、
電車の切符を手に入れることが目的で、向こうについたら何がしたいのかわからないままで、
でもとりあえずこの速くて立派な乗り物に乗れば近道、間違いないだろうと思って、乗ってたけれど。
ほんとうの中身は薄っぺらで、大学ではろくに勉強もしないで、意味なくとった資格で履歴書だけが飾られ、
これでお見合いの条件は無事に揃ったと喜ばれ、そこに無批判に乗って安心することに甘んじてずっと生き永らえてた。
でも、もとが怠け者なので、叱る人が居ないととたんにアンテナも鈍ってラクに流れ、向上心もなくなっちゃう。
これのどこがアタマがいいとか賢いとか言えるのか・・・。

でもこの切符のお蔭で確かに生活できている。これを子供にも無事に授けたいというのはオヤゴコロのひとつだと思う。
そこ止まりで満足してはいけなかったし、いけないんだ。私が感じるような、後ろめたさを、子供には味わって欲しくない。
でも成績は良くなって欲しい、難しいところだな・・・。


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