| 2002年11月28日(木) |
言ってはなんだが、気が重い |
「可愛がってくれている」人には、なにも反論できない・・・ということが結構ある。 同意はできないから、ウソはつけないから、愛想笑いで、誤魔化して受け流すしか、道が無い。 まして、相手は、自分がとても愛情深く、正しいと思っている人。自分の意見を否定されると、自分を否定されたと思ってキレる、その度合いが尋常じゃない。
そういう人間関係については、私は「諦める」「物理的に距離を置く」ということで平常心を保ち、自分を見失わないようにしようとした。
そういう人々は人間を信用していないことが多い。他人は勿論、ある意味、親子姉妹さえも。というより、自分以外は、信じない。 いや、もしかすると自分のことも信じてない。自分が育てた子供を信じないということは、そういうことだろう。 自分の考えこそが最高で、自分の愛こそが最大で、子供の考える幸せなんか信じない。自分が考えてあげて、自分が作ってあげる幸せしか、価値が無い。 自分がせっかく人のためにやってあげたことが、感謝されないと、自分の存在まで否定されたように激怒する。 自分に自信がないから、自分を過信する。 自分が見下されそうで恐いから、先んじて人のことを見下す。
あなたの幸せを、我こそが、一番考えてあげているんだ、というつもりの人に向かって、何を言えるだろう。恩知らずとののしられて、一層ワヤになるばかりだ。
そういう人の人間観、人生観は、厳しい。人の欠点を数えるのが大得意。それこそが自分の優越感を満足させることなのかもしれないが。 狭い許容範囲。人の本質とか人生で何が大事とかいう真ん中のところとは、全然関係ないものを、物差しとして持ってきては振りかざす。 よくもそんなに人を嫌いになれるものだ。ほんとうは自分自身をも好きになれないのかもしれない。 ありのまま・そのまんまで自分を受け入れてもらった経験が、無いからだろうと、私は推測している。
そういう人が誰かのために成り代わって考えてくれる人生の幸せや、選んでくれようとする人は、当人には、はっきり言って、興味がない。もっと別の何かを重視しているのに。 だけど、苦しくとも、無碍に出来ないのは、それを拒絶したら、生きがいを否定されたと思って自殺しかねない人だからだ。 その人の生い立ちや、時代背景からいって、そんなに人をゆるく受け入れられなくなったのも、理解できなくはないけれど。
まあ、こう書くと、まるでその人がさもいじめっ子みたいに読める文だけど、実際はちょっと違う。 とーっても、「優しい」人だから問題なのだ。誰の為の優しさか、つきつめればそれは、たいそう無駄になってしまっているのが、惜しまれる。
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