| 2002年10月08日(火) |
傲慢で余計なお節介? |
だけど私の胸を支配していたのは、日常の不便さのことよりも、就職差別や結婚差別のことよりも、マイナーな特性をどう捉えるかという考え方のことよりも、何よりも、
ひとつのないものねだりな思いが、どーんと大きく迫っていた。 息子は目も見えるし耳も聞こえるし、話せるし、歌えるし、持てるし、書けるし、歩けるし、走れるし、味わえるし、匂いも感じることができる。 いろいろさまざまなことを考えることも感じることもできる。優しくて可愛い、これ以上なにか不満があるかっていうと、ほんとに、無い。 しいていうなら一度注意されたことは一度で聞いて欲しいとか、もうすこしスポーツに積極的に取り組んで欲しいとか、気配りと落ち着きが欲しいとか、まあいろいろあるけれど。 それでも。 贅沢だと思うけど、私が見えてる、きれいだと思う色の世界と同じものを、一生に一度くらい、見て知って欲しいな、なんて。考えちゃって。 私は小さい頃から緑色が大好きなんだ。 ペパーミントグリーンのあの爽やかさ、 「オズの魔法使い」に出てくる神秘的なエメラルドの国、ライムジュースの酸っぱそうな美味しそうな色、 青々とした夏の木の葉、 それは茶色やオレンジやカーキ色とは全然違う鮮やかなものなんだと、感じてもらう方法は、無いのだろうか。 体を流れる真っ赤な血、苺ミルクの可愛らしい色、それは茶色っぽい色でもないグレーでもない、もっとはっとする色なんだと、知らせる方法は、 あったらいいのに。 あなたが緑と呼んでいる色は、赤と呼んでいる色は、私にはこんな風に見えている・・・それを知らせる手段はない、と同時に、彼の見分けている微妙な微妙な色合いの世界を、私がそのまま見ることも、やっぱり不可能なんだ。 彼がきれいだと思っている景色を、彼と同じようにきれいだと感じるのは難しい。 それがほんとに寂しい。
でもそれは色だけじゃなくて、好きな音楽とか、味とか、感覚の違いの極端な範囲なんだと解釈すれば、べつに気にすることでもないといえば言える。
息子の好きな色は、だんぜん青だという。 男の子だからという理由だけじゃなかったんだ。 青は、私の見ている青とかなり同じようだ。 青と黄色と、それから茶系・グレー系の世界で生きていれば、 やっぱり青に一番惹かれるのも、なんかよくわかる。
だけどその茶やグレーの、微妙な色合いを、ちゃんと「赤」「ベージュ」「オレンジ」「黄緑」「緑」「ピンク」「ばら色」「ねずみ色」・・・と呼べると言う事は、虹はやっぱり虹色だと感じているのかも。 あの子だけの大事な綺麗な世界があるんだ、と思えてくる。 こんな色が見えなくてさぞかし残念だとか可哀想だなんて、こっちの余計なお世話、傲慢なお節介なのかもしれない。
だから私も、 「ああ、この景色は息子にどんな風に見えているんだろう」と思い煩っては泣くなんてことは、 もう止めよう。 考えなきゃいけないことはもっと他にある、から・・・。 (続く)
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