気が向けば・・・。


この今の瞬間に過去も未来も入ってるらしいし(何時でも)この小っさな頭蓋の内に宇宙も入ってるらしいし(誰でも)
だから、ひょっとしてこの矛盾に溢れた日記も、何時かの誰かに繋がったりするかも、って思ったから
少しだけ秘密度を緩めました。



子ども虐待防止「オレンジリボン運動」

2002年10月01日(火) 掲示板を置いてないわけ

「ここには掲示板をおいてないの?」と尋ねてくれた人が何人かいて。


「自分のホームページって作ってみたい」と相当興味があった頃。
ただ日記を借りて好き勝手なことを書くのは今と一緒だけど、その頃は掲示板(BBS)も設置していた。
よそ様のサイトの掲示板にも、何も考えずにお邪魔していた。
今つくづく思うのは、
掲示板を置くと、いろんな人の言葉が読めて楽しいし良いんだけど、とたんにサイト管理がひとつの仕事になるなあ、ということ。
いつでもいつでもパソコンを開いて見ていられれば満足のいく管理ができるだろうとは思う。
今は一応?子育て中の身、パソコン遊びの優先順位は低い。(一応。建前。)だから責任持ってサイト管理するのは厳しい。

掲示板を置くというのは誰かの言葉を預かることでもある。それはなかなか意外とデリケートなことだと、だんだん悟った。
アバウトな私にはちょっと勤まりきれない部分がある。
掲示板って誰でも匿名で自由な意見を言えることに良さがあるし、また困ったこともある。
インターネット上に掲示板がある限り、あらゆる人が訪問可能。
たとえ善意の書き込みだったとしても、人の感受性や思想が様々な限り、言葉はときに、予測のできない受け取り方をされる。
にこにこしてタイプした文字だったのに、向こうで読んでる人はその文字の裏に怒った顔を予測するなんてこともあって。

掲示板には、メールには無い、良さがある。
メールだと、話し掛けてる相手を限定してしまうから、そのお相手は、それに対して返事しなきゃいけないような気にさせられることもあるわけで。
いや、返信不要の用件には、ほんと、返信不要なんだけど。なんか「読んでおいて無視してる」みたいでわるいなあ、なんていう気遣いをする人も出てくるわけで。
そんな気遣いをさせるのがいやで、いちいち「返信不要です」なんて書くのも、「あなたの返事なんか別に要らんよ」とは聞こえないだろうね、なんて心配したりして。

その点、掲示板だと、一応特定発言に対してのレスとして書かれていても、それは同時に他のメンバーへ向けてのメッセージ。
見た人は必ず返信しなきゃ、という気分には、ならなくてもいい。(ほんとはね。だけどあまり誰も書かないと、どうしてよいか。)
誰が見てるか分からないから、やっかいでもあり、楽しくもある。
見知らぬ誰かの役に立てる、見知らぬ誰かの気持ちを逆なでする、見知らぬ誰かの気分をラクにする。
覗いてもらってなんぼ。広い世界に発信したものが、どこか誰かにヒットして幸せを生むかもしれない。
けれどもし。いいかげんな書き込みのせいで混乱迷惑させられる被害も、どこまで広がるか分からない。それこそ世界に。

アクセスできる頻度も環境も人さまざまだし、ネット慣れしている度合いも人それぞれだし、話題についていってる度合いも人さまざまだし。
読んだら必ずそれに対してコメントをするかしないか、も、気分だし。
言葉にし難いことをあえて言葉にするか、いっそしないでおくか、も時による。
書かないからといって失礼でもないし、書いたからといって失礼でもない。
書かれている意見だけが全てじゃないし、書かれないことはだれにも分からないし。
それを自分の尺度で推し量りながら交わるのも、人間の限界がある。
書いていいのかな、書かなくていいのかな、書かれないけどいいのかな、書かれてるけどいいのかな、
・・・などと気にしすぎる人にとっては掲示板は時にはストレスの元にさえなる。
それを皆が踏まえた上で、
あらゆる可能性を想定しながら、良いほうに解釈しながら、言葉の中からただメリットだけをすくいとって参加できるんなら、
そこからは得るものがある。そこは楽しい。

・・・・。だから、何だろ・・・。
変わりやすく、移ろいやすく、何でも有りで、何も知らない、全て許せるかもしれないし、全て許せないかもしれない、人の心。
その心を「言葉」で切り取ったパズルのピースが沢山ある場所。しかもまだまだ欠けている。どの箇所が欠けているはわからない。
特に大きなコミュニティの掲示板は、そういう場所だった。
ちゃんとワケが分かった状態でそういう場所の運営に関わるには、今の私には心の基礎体力がちょっと衰えてる。
だから、お招きする自室はないくせに、どこかに時々お邪魔する、今の私は、そんな私。


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