母の姉の連れ合いである伯父が、まだ70にもならないけど、闘病の末に逝った。 仕事上、お酒もタバコもよく飲む人で、もうずっと以前から糖尿で、肝臓も胃も食道も患い、入退院を繰り返していた。 28日、何度目かの入院の準備をしている夜、具合が悪くなって、救急車に乗り込むときには、しっかりしていたけれど、運ばれる間に意識がなくなり、そのまま、あっという間にとのことだった。安らかな顔だった。 最後まで気力で頑張っていた伯父はもう覚悟ができていたのだろうか、立派だと言える。
伯父は私のことも可愛がってくれたと思うが、知らせを聞いて私はむしろ、看病生活が続いていた伯母のことや、まだ独身のひとり息子である従弟のことが悲しかった。正直、伯父との別れが悲しいというわけではなかった、告別式までは。
けれどやはりお葬式というのはたまらない。 人は体がこの世で死んでも、人のたましいというものが続くと、・・・体も地位も財産も借り物だし仮のもので、たましいがどうだったかが全てだと、 そういう仏教テイストで日頃私は自分にも言い聞かせているし、 自分や家族や友人の死に際してもそれで乗り切ろうとしているし、 だけど・・・。
遺影を見てしまうと、元気だったころの笑顔・声・思い出してしまう。 棺に献花するのだって、穏やかな表情なのにまったく生気のない顔を見てどうそれを受け入れたらいいのか。見られない。 斎場でのすべての場面で現実を信じられない思いだった。 帰りは小さな壷に納められて、これはいったいどういうことなんだろうと震えがきてしかたない。その時点でもう、ここにはいないんだと分かっていながら、でも。
伯父のことですらこんなんだから、絶対に絶対に、 子供より早くは勿論のこと、夫より一日でも早く、あっちに行きたい。 そして、そんな願いが叶わなかった人びとの心情をあらためて想像し、 夕べはなんともいえない気持ちだった。 今、私が、この体で、家族の肉声が聞けて、あったかいほっぺが触れていることが、いつまで続くのかと。
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