ノーエの日記

2005年01月07日(金) 「勧善懲悪」の弊害。

「あなたの作品には“いい人”しか出てこないね」
随分昔の話ですが、創作をやっていた時によく言われた言葉です。そしてたいていの人は、それが不満なようです。
人には野心や欲望が“悪の権化”のような存在があって、それでドラマが面白くなるのだと延々と聞かされました。

ご多分に漏れず「テレビっ子」でしたからアニメや特撮ものも好きで、その多くは勧善懲悪で、正義の味方が悪いやつ等をやっつけて“めでたし、めでたし”なお話です。
だけど、物心がついてくると、それが胡散くさくて鼻につき始めてきます。なぜなら、現実の人間同士の間で問題が起きる時、どちらかが完全な悪でどちらかが完全な正義なんて殆どありえないことに気付き始めるからです。

たいていがお互い様で、どうしても相容れず、理解できな部分もある事を認めて、現実的な対処を考える以外方法はないわけで。

悪の象徴が出てきて、「アイツさえいなければ」という価値観が正当化されて“正義の味方”が力でそれをやっつけて問題が解決するなんて、現実には起こりえない。善良な人々の多くは優しくて、良い人であろうと努め、それでもどうしようもない愚かさと、弱さのゆえに傷つけあう場合が殆ど。

自分が傷ついた時、一方的に傷つけられたと被害者意識を持つのは、その分だけ自分も相手を傷つけているという事を失念しているのです。そして、自分も同じだけ相手を傷つけているかも知れないという考え方が出来ない人の思考は相手が一方的に悪くて、自分は完全な被害者だという「勧善懲悪」な考えに陥ります。すると相手を非難する。

非難された方は、自分の方が傷つけられていると思っているから、その非難に激昂する。それが高じると「アイツさえいなければ」で、親や友人や子供を殺す。

殺人の動機なんて、自分が正義だ、被害者だと信じた人間にとっては容易い。

それとは関係があるかどうかはわかりませんが、「ヒーローものゲーム、子供の攻撃性増加の可能性」という記事を読んでとても興味深かった。ゴジラが好きな甥っ子達が、『ゴジラ化』するのもむべなるかな…です。


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